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JR東日本 常磐線
小高 【次の掲載駅】 原ノ町→ 
磐城太田 Iwaki-Ōta
 ●2015.09.訪問時
【撮影日:15.09.20./掲載日:22.01.08.】
 駅舎というか待合室は、前回訪れた1年ほど前から大きな変化はなかった。
 掲載日現在では駅舎というか建屋は、写真の黄色と水色のカラーリングから白と深い青みのカラーリングに塗り替えられている。
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:22.01.08.】
 駅構内は、1年前と違って草がはびこっているという状態ではなかった。おそらく除草したというわけはなく、除草剤を散布して枯れた後を刈り取ったといった感じだった。この写真の撮影から約10ヶ月後の運転再開に向けての準備が始まったといったところだろうか。
 
 
【撮影日:15.09.20./掲載日:22.01.08.】
 駅構内も手が入り、軌道敷きの草もなくなっていた。ただ線路は相変わらず錆さびだったが、下りホームの岩沼側にはトラックの軌陸車が線路上に停車していた。軌陸車が線路上を数回走った程度では、錆落としにはならないか…。
 
 
 ●2014.07.訪問時
【撮影日:14.07.25./掲載日:22.01.08.】
 上りホームの駅名標は、逞しく侵略してくる緑のベールに覆われようとしていた。これぞ本来の意味での"蔓延"の状態である。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:22.01.08.】
 かつて駅舎が建っていた場所には、簡易な待合室が建てられていた。カラーリングは水色に塗られた鉄骨に黄色の壁と、存在感を誇示するような組み合わせだ。まあ周囲には住宅が数軒ある程度の場所なので、少し派手な色使いの方がいいのかもしれない。一方で地面の方に視線を落とすと、上からコンクリートで塗り固められてはいるが、かつて建っていたであろう駅舎の大きさがなんとなく窺い知れる。様子からすると、円筒の郵便ポストのすぐ後ろには駅舎の壁が迫っていたのではないだろうか。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:22.01.08.】
 震災から3年以上が過ぎていたが、時刻表や運賃表はその時から止まったままの状態で掲示されていた。
 当時の時刻表を見ると16往復の設定があったことが判るが、そのうちワンマン列車が下り3本に対して上り1本のみと不均斉である。車掌さんのやりくりはどうしてるのかなーと素朴に思ってしまった。ただ震災前のいわきー原ノ町 間は末続・桃内・当駅以外は有人駅だったと思ったので、意外にワンマン列車が少なかったんだなーとも思った。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:22.01.08.】
 駅構内を、日暮里寄りから岩沼方向を見る。かつてはホームのない中線が上下線の間にあったようだ。でも意外に構内は草むしているということはなかった。ただ線路はすっかりさびており、生気が失われたような状態であった。
 震災以前は日に1回、651系の[スーパーひたち]どうしが当駅で列車交換をしていた。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:22.01.08.】
 日暮里方向を見る。軌道内は雑草が伸び放題の状態だ。こちらも一部軌道敷きも見えているが、線路はすっかりさび付いており、廃線から数年経ちました、というような雰囲気を醸し出していた。
 
 
 

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