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JR東日本 常磐線
磐城太田 【次の掲載駅】 鹿島→ 
原ノ町 Haranomachi
 ●2022.05.訪問時
【購入日:22.05.21./掲載日:22.05.28.】
 当駅の名前には「ノ」の字が入るものの、地名は「原町(はらまち)」を正式な読みとしている。ただ江戸期までは地名も"はらのまち"と呼ばれていたらしい。一方で、近いというほどではないが、お隣宮城県には仙石線の陸前原ノ町駅があるが、こちらの地名は「原町(はらのまち)」というのが現在の正式名である。結局どっちも「ノ」の字が入らないのが正式な地名表記なのかい! と思ってしまう。ちなみにどちらも、かつては宿場町という共通点があったりする。
 
【入手日:22.05.21./掲載日:22.05.28.】
 原ノ町駅はこれまで数度利用したことがあったが、この時において初めて駅スタンプがあることが判った(笑)。いつから設置されているものかはわからないが、この印相を見る限りはそう長い時間使われているということは無さそうだ。
 スタンプのデザインは、相馬野馬追をモチーフとした期待を裏切らないものとなっている。
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.05.28.】
 古レールを枠に使った駅名標。
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.05.28.】
 訪問時の駅舎は外観がリニュアールされては城造り風になっている。かつてあった窓がいくつか埋められ、矢や鉄砲を撃つための三角や丸の「狭間(さま)」が描かれ、騎馬行列の写真などが掲げられている。
 かつて原ノ町駅最寄りとなる場所に「牛越城」という城があったそうだが、相馬中村藩の相馬氏が居城として実質的に使用したのは関ヶ原の戦い前のわずか数年で、一時的に「小高城」も居城扱いしていた時期もあったものの、主に居城として使用されたのは「中村城」であった(最寄りは相馬駅、ちなみに相馬駅は開業時駅名は中村駅)。ということで当駅の外観が城風にったのは、あくまでも相馬野馬追のイメージからきているようである。相馬野馬追のメインイベントである神旗争奪戦は、当駅最寄りの「雲雀ヶ原」という場所で行われる。
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.05.28.】
 当駅は乗降ホームが3番線あるが、すべてのホームに列車が入線しているとこを撮影することができた。こうして見てると、車体の帯色だけではあるが、色が赤・緑・青と綺麗にはっきり分かれていて、見た目にも楽しい。
 現在のダイヤでは[普通]はすべて当駅で折り返すことになっており、使用する車輛の分担も明確に分かれている。一方で直通運転するのは1日3往復の発着がある[特急]だけとなっている。

◆写真の列車情報◆ [左]E531系3000番台 水カツ K554(写真先頭はクハE531-4004) 1627発 [普通]原ノ町→いわき
              [中]701系 仙セン F2-502+F2-514(写真先頭はF2-502 クモハ701-1502) 1640発 253M[普通]原ノ町→仙台
              [右]E657系 水カツ K1 (写真先頭はクハE657-1)
1621発 13M[特急ひたち13号]品川→仙台
 ●2015.09.訪問時
【撮影日:15.09.20./掲載日:21.11.10.】
 駅舎前に置かれていた、竜田-原ノ町 間代行バスのバス停。バス停のスタイルは竜田駅のものと同じだ。当時設定させていたバスの本数はわずか2往復で、途中停車駅は設定されていなかった。
 この区間に代行バスが設定されたのは2015(平27)年1月からだった。設定が震災からしばらく経ってからだったのは、常磐線と並行する国道も原発事故の影響で長らく一般車の通行ができなかったためである(国道6号の一般通行の再開は2014(平26)年9月から)。
 2016(平28)年7月に小高-原ノ町 間の運転が再開されたとき、鉄道再開通区間が短かったことから、代行バスは原ノ町駅発着のままで残され、小高駅の停車が追加された。2017(平29)年2月には富岡駅と浪江駅の停車が追加され、同年4月に浪江-小高 間が再開されたときは下り1本だけが原ノ町駅着として残されて、他の1.5往復は浪江発着に短縮された。おそらくだが、この原ノ町駅着の1本は代行バスを運転していたバスの入庫の関係と考えられる。同年10月に竜田-富岡 間で運転が再開されて、代行バスの運転区間は富岡駅-浪江駅・原ノ町駅に変更された。常磐線全線再開通による代行バスの運転終了は2020(令2)年3月。
 
 
 ●2014.07.訪問時
【購入日:14.07.25./掲載日:21.11.10.】
 駅訪問では記録用に券売機の入場券を購入しているが、この件はその役目の他にも、ちゃんとホーム立ち入りという本来の目的でも使用した。
 
 
【入手日:14.07.25./掲載日:21.11.10.】
 この訪問当時、原ノ町駅は震災の影響で相馬までの区間で運転を行う、いわば"常磐中線"といった状態で、他の鉄道線と接続を取らない路線となっていた。2011(平23)年12月に短いながらもこの区間で運転を再開するに当たり、仙台区から701系2輛編成3本を運び込まれた。
 訪問時の2014(平26)年3月のダイヤ改正では18往復の運用が組まれていたが、うち最終の下り1本は、最終の上り列車を運転するための回送列車となっていたようだ。また画像のポケット時刻表をよく見てみると、途中駅である鹿島、日立木の両駅で列車交換を行うダイヤが組まれていたことが解る。これも線路や信号回路の維持のための方策なのだろう。
 画像はクリックすると拡大表示します。

 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.11.10.】
 訪問当時、駅名標にはまだ営業再開されていない隣の「いわきおおた」の表示が見え、文字を隠すなどの対応は取られていなかった。当駅から小高までの南側区間が再開通するのは、この訪問から2年後の2016(平28)年のことになる。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.11.10.】
 訪問時の駅舎は、窓には木の桟が嵌められており、武家屋敷のような雰囲気になっている。ただこの状態はまだ現在進行形のようで、こののちには壁に敵兵を鉄砲や矢で狙う穴のようなものが描かれたり、一部窓が埋められたりしているようである。
 当駅の特徴といえば、駅入り口のひさしを支える4本の柱である。この柱は"竹"筋コンクリート製としてかつては知られていたが、現在は鉄筋コンクリート製に造り替えられている。ただ竹筋コンクリート製の柱の一部は保存されているとのこと。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.11.10.】
 駅舎に掲げられた駅名板は木調になっている。JRマークの後ろには騎馬武者の姿がシルエットで彫られている。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.11.10.】
 改札口の様子。訪問当時はまだSuica未対応であったが、自動改札機が導入されていた。当駅がSuicaの仙台アリアに組み込まれるのは2020(令2)年3月からである。
 写真左手はびゅうプラザとなっているが、訪問時は震災から営業休止中のままだそうで、その後結局復活しないまま2015(平27)年に閉鎖となってしまったそうだ。でも同じ場所にはみどりの窓口が入っている。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.11.10.】
 1番線ホームのやや岩沼寄りか、日暮里方向を見る。こうしてみていると普通に駅の営業をしているように見えるのだが、隣の線路はすっかりと錆びついてしまっており、あくまでも現状は仮の姿だということが解ってしまう。
 1番線ホームの柱には、例年夏に開催される相馬野馬追の祭事に参加する騎馬武者を飾る幟が取り付けられていた。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.11.10.】
 訪問時、震災発生で駅に取り残された651系と415系1500番台のそれぞれ4輛編成が連結されて留置されていた(日暮里側に651系)。
 震災当時、時刻表通りに運転されていたとすると、651系は当駅始発の1509発 50M[特急 スーパーひたち50号]として出発の準備中で、一方の415系1500番台は地震発生時間とされる1分前の1445着の当駅止まりの667M[普通]としていわきから到着したばかりだったということになる。当時他にも、地震前の沿線火災で遅れていた定時1435発 242M[普通]仙台→いわき(701系1500番台 仙セン F2-510:2輛編成)が原ノ町を出発したばかりで、1450発 253M[普通]当駅始発の仙台ゆき(E721系 仙セン P-9・P-27:4輛編成)が出発を待っていた。
 2011(平23)年12月に原ノ町-相馬 間で運転が再開されるにあたり、仙センの701系1000番台の2輛3編成を水カツに転属の上で原ノ町の仮の宿に入線させ(仙セン F2-18・F2-20・F2-25←→水カツ K618・K620・K625)、その際に取り残された701系1500番台とE721系は持ち出された。
 しかし写真の2編成は持ち出されることはなかった。震災以前の時点で、651系のE657系への置き換えはすでに決まっていた上(置き換えは2012(平24)年から)、415系1500番台も上野乗り入れも中止しており(2007(平19)年)、E531系への置き換えも半ば決定事項だったこともあり、いわば見捨てられた形になった。これらの編成も孤立区間で運用させるという方法もあったのではとは思うが、明らかに輸送力過剰であることや、運転するためには異なる形式の車輛を整備する必要が出てくるので、得策ではなかったのだろう。
 最終的に両編成は2016(平28)年3月になってやっと持ち出されることになったが、案の定、再び運用に就くことなく廃車となっている。

 ◆写真の列車情報◆ [左]415系1500番台 水カツ K534(写真先頭はクハ411-1624) / [右]651系 水カツ K202 (写真先頭はクハ651-102)
  
 
 

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