JR東日本 常磐線 | |
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鹿 島 | Kashima |
●2022.05.訪問時 | |
【入手日:22.05.21./掲載日:22.06.07.】 |
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【撮影日:22.05.21./掲載日:22.06.07.】 地名の由来はその名前から察せられるように、5世紀にはすでに当地に鹿島神社の分社があったそうだ。 駅の開業は1898(明31)年と、本家のお社がある鹿島神宮駅の開業は1970(昭45)年と72年もの開きがある。駅を命名するのもまさに早い者勝ちといったところ。 ちょっと話が違うが、肥前鹿島駅のある長崎県鹿島町には、10世紀にはすでに街道の宿場となる"鹿島駅舎"があったとか。 |
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【撮影日:22.05.21./掲載日:22.06.07.】 訪問時は無人駅となって数年が経過していたが、常磐線開業前にフライングして竣工した明治の駅舎はまだ健在であった。古い駅舎の駅が無人化されると、いつ簡素な待合室だけしかないような駅舎に建て替えられてしまうか気になってしまう。 訪問した2ヶ月前(2022(令4)年3月)には当地で震度6強の揺れが観測された。駅の入口のガラスの扉には建物の「緊急危険度判定」の安全もしくは軽微の被害を示す緑色の調査済証が貼られており、そこには「建物の使用に問題ありません」と明示されていた。東日本大震災以降、何度も強い揺れに見舞われてきているにもかかわらず無事とは、なんとも堅牢な建物である。とはいえ、無人化によって建物の管理が今後手薄になって老朽化を促進させることがないよう願うところである。 ちなみにこの訪問の2ヶ月前の地震の後、常磐線が全線で運転を再開させたとき、仮での復旧であったため原ノ町-駒ヶ嶺間(営業キロで24.5km)の所要時間が通常22分程度のところを、最速でも倍の44分かけての運転で、列車によっては列車交換の都合で1時間かけて走る列車もあった。 |
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【撮影日:22.05.21./掲載日:22.06.07.】 駅舎入口の右上に釘打ちされた建物財産標が留められていた。打刻は開通前年となる「M」「30」のみで、月と日の打刻はされていなかった。 |
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【撮影日:22.05.21./掲載日:22.06.07.】 駅は無人化されているので、当然窓口はカーテンで閉じられたままとなっていた。ただ無人化に当たって券売機は設置されなかったようだ。ただSuicaリーダーは、、以前は建屋外側に小型のものが設置されていたが、この訪問時では駅舎内に大型の簡易リーダーが設置されていた。でもこの簡易リーダー、背中合わせに立ったモアイのように見えるのは私だけであろうか…(笑)。 |
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【撮影日:22.05.21./掲載日:22.06.07.】 駅舎のホーム側、改札口のすぐそばには、ブラックボードに白地で書かれた駅名標が掲げられていた。明治期のものではないにしても、なかなか古そうだ。 |
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【撮影日:22.05.21./掲載日:22.06.07.】 駅に到着する、E721系の間に701系を挟んだ6両編成が到着する。両系式は床面と屋根高さのが異なるため、なんともデコボコとした側面の編成となっている。それにしても最近ではこういう風にスタイルが異なる系式が編成を組んで走る様子というのは、JR、私鉄問わず少なくなった気がする。 ちなみに編成の中に挟まれた701系は仙セン F2-510編成で、東日本大震災発災時は原ノ町駅からいわき駅に向けた発車した後で、後に一時的に原ノ町駅に取り残された編成である。 ◆写真の列車情報◆ 仙セン E721系 P-6+701系1500番台 F2-510+E721系 P-41 (写真先頭はP-6 クモハE721-6) 1511発 249M[普通]原ノ町→仙台 |
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●2014.07.訪問時 | |
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.11.06.】 駅の外側から駅名標を撮影。 |
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【撮影日:14.07.25./掲載日:21.11.06.】 当駅の駅舎は、歴史を感じながらも、わりかしオーソドックスなスタイルの木造駅舎。駅舎は1897(明30)年の完成とされており、常磐線開通の前年にはできあがっていたということになる。見た目はよい状態が保たれている。 |
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【撮影日:14.07.25./掲載日:21.11.06.】 訪問当時の当駅は有人駅であった。窓口の中には駅員さんがいたようだが、ちょうどお昼ということもあって休憩時間だったようで、窓口はカーテンで閉ざされていた。 2016(平28)年7月に小高-原ノ町 間の運転再開に際して、当駅の駅員は小高駅に配置換えされて無人化されてしまった。しかもその小高駅も、Suicaが導入された2020(令2)年3月に無人化されている。 |
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