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JR東日本 常磐線
鹿島 【次の掲載駅】 相馬→ 
日立木 Nittaki
 ●2022.05.訪問時
【入手日:22.05.21./掲載日:22.06.18.】
 
 
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.06.18.】
 当駅には8年前にも訪問しているが、基本的に佇まいや色などはその当時から変わっていないようだ。
 
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.06.18.】
 ホーム側から見た待合室。駅外から見ると「日立木駅」と表示されていた表示板の裏側は、「日立木」と駅の文字を抜いて表示されている。これは同じ水戸支社管内の水郡線の待合室しかない駅などと同様である。
 当駅のSuicaリーダーも、鹿島駅同様にカードリーダーが小型のものからモアイ形に置き換えられていた。
 この待合室の壁部分の右上の鉄骨の所に建物財産標が取り付けられており、打刻によれば「待合室2」ということで、日付は平成8年3月1日となっている。
 
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.06.18.】
 上りホームに立つ待合室。側面には「2」と「3」の表示がされているが、3番線に列車がやってくることはない。建物の建てた順からしてこちらが「待合室1」になるのだろう。写真を見ると、入口扉の右上に建物資産標らしきものがあるのが見えるが、いつ建てたかのチェックをするのを忘れてしまった。
 
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.06.18.】
 常磐線の各駅には、その歴史から10両以上の列車が停車できるような長大なホームが用意されているが、優等列車が止まらない駅ではその長さを持て余している。そのため、長大列車が止まらない駅では旅客が立ち入らないようにホームの途中に柵が立てられた駅も少なくない。そして立ち入れなくなったホームをまるごと撤去するケースもあるが、多くは列車に接近している笠石だけを撤去して対応しているケースが多いように思う。ただ当駅の場合は、写真でも判るように列車に近い側を45度に削り取って対応していた(どこか他の駅でもこのような処置をしているのを見たことがある気がするが…)。写真は上りホームの日暮里側だが、使っていない岩沼側の部分と、上りホームでも同様の対応となっていた。しかし法面のように綺麗に防水の布?で蓋をしたようにしているのは、土盛が崩れるのを防止する以外に何か意味があるのだろうか。
 話は変わるが、写真右の上り本線からはバラスト積み込み用の保線用の線路が分岐している。
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.06.18.】
 廃軌道のような3番線の線路の日暮里寄りに301kmポストが植わっていた。
 
 
【撮影日:22.05.21./掲載日:22.06.18.】
 前回訪問したときは自家用車での訪問だったので、上り列車は下りホームから撮影したが、今回は上り列車に乗る必要があったので、上りホームからの撮影となった。到着したのは8年前と同じ701系であったが、編成は2輛から4輛になっていた。原ノ町以北の常磐線には2輛編成のための停車位置目標が各駅に設置されているが、訪問時のダイヤでは[普通]列車は4輛または6輛編成となっているので、2輛編成はやってこないらしい。

◆写真の列車情報◆ 701系1500番台 仙セン F2-514+F2-502(写真先頭はF2-514 クハ700-1514) 1549発 244M[普通]仙台→原ノ町
 
 
   
 ●2014.07.訪問時
【入手日:14.07.25./掲載日:21.10.21.】
 
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.10.21.】
 日立木という地名は合成地名である。1889(明22)年の市町村制の施行で合併、成立した磯部村の中から、日下石(にっけし)・立谷・赤木・柚木(ゆぬき)の旧4村が分立して1900(明33)年に成立した時に、それぞれの旧村名の一部を使用して命名された。ということで、茨城県にある日立市とは何ら関係が無く、こちらの方が日立市より古い地名ということになる。現在の日立木は相馬市に所在している(町村合併は1954(昭29)年)。
 駅の歴史としては、当駅は1922(大11)年であるが、日立駅の開業の1897(明30)年より後にはなる。ただ日立駅は開業当初は助川駅を名乗っており、現在の名前に改称されるのは1939(昭14)年のことで、名称としては日立木駅の方が古いということになる。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.10.21.】
 当駅にはいわゆる駅舎は無く、簡易型の待合室のみが出入口部分に建てられていた。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.10.21.】
 当駅の構内配線は、典型的な2面3線である。ただ3番線については架線は張られていたものの機能停止状態であった。しかもこの訪問後にはホームに柵が立てられ、常磐線全線再開後も使用されていないようだ。
 
 
【撮影日:14.07.25./掲載日:21.10.21.】
 駅に到着するE701系。
 一時的に封じ込め線路となっていた原ノ町-相馬 間で運用されていたE701系の3編成は、仙台車両センター(仙セン)から仮設された勝田車両センター原ノ町運輸区(ただ電略は水ノマとはならず、水カツ)に転属されており、その際編成番号も変更されている。写真のK620 編成も、仙センでの編成番号はF2-20編成とされていた(水カツ転属前、仙セン復帰後も)。

 ◆写真の列車情報◆ E701系 水カツ K620編成(写真先頭はクハE700-1020) 138M 1542発[普通]相馬→原ノ町
 
 
 

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