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東日本旅客鉄道 只見線
会津越川 【次の掲載駅】 会津大塩  
会津横田 Aizu-Yokota
 ●2014年09月 訪問時
【撮影日:14.09.13./掲載日:15.11.12.】
 会津横田は、1963(昭38)年に会津川口から只見まで延伸したときに、会津蒲生と只見と同時に誕生した駅である。同時に駅が開設されたのは、かつてはここに鉱山があったことも影響したのだろう。
 写真で見ると会津川口側にあるスノーシェッドは複線の幅があるが、当駅を列車交換できるように設置されたものではない(それが証拠に、反対側にはスノーシェッドがない)。スノーシェッドの中には保線車輛が置けるようになっているらしい。
 
 
【撮影日:14.09.13./掲載日:15.11.12.】
 ホームの様子。ホームは短くて、どうも2輛分の長さがないようだ。写真ではうっすらと見えているが、本線から分岐する線路が見える。写真だとホームの向こう側から分岐しているように見えるが、実際には分岐器はホームにかかっている。あと、なぜかホームに上がる階段の一番下にグレーチング(側溝の上に置く網状のフタ)が一枚置かれていた。これは靴底の泥落としか雪落としのために置かれているのだろうか?
 かつてはホームの反対側(南側、写真だと左側)に見える山から、露天掘りされた銅、鉛、亜鉛などの鉱石が出荷されており、戦後には日本曹達が鉱山を買収して操業していたそうだ。そして只見線開業後は鉄道輸送による出荷もあった。国土地理院HPの空撮アーカイブでも駅に隣接した鉱山関連の施設と小さいながらも貨物側線のようなものも確認でき、また(私が唯一所持している過去の貨物時刻表である)1968(昭43)年改正のダイヤでは当駅と会津川口との間で臨時貨物列車が設定されていたことが確認できる。しかしそんな歴史があった駅だったとは、訪問時には感じることはできなかった。
 
 
【撮影日:14.09.13./掲載日:15.11.12.】
 会津横田駅の代行バスのバス停は、冊子「只見線の旅」によれば駅の入口となっている。私が訪問したときには見つけられなかったが、後にこの写真の右後方にある「横田タクシー」の建物の前に、金山町営バスの「上横田」バス停があり、ここに代行バスの時刻表が掲載されていることが判った。
 ちなみにこの写真上の駅の入口は、左から2軒目、上部が白い壁で下部が木造のような壁の家の奥側になる。
 
 

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