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東日本旅客鉄道 只見線
会津横田 【次の掲載駅】 会津塩沢  
会津大塩 Aizu-Ōshio
 ●2014年09月 訪問時
【撮影日:14.09.13./掲載日:15.11.10.】
 駅名標。普通に営業していても錆びていくものではあるが、利用されなくなってから長い時間が経ったのかなと感傷的になってしまう。
 2011(平23)年の新潟・福島豪雨では只見線の3つの橋梁が崩落してしまったが、鉄橋崩落箇所を含んでいない只見-会津大塩 間の復旧は一見簡単のようにも思えるし、会津大塩の駅前には代行バスが容易に入れるだけの場所はある。しかし線路の方は路盤が崩れたり、崖が崩れたり、土砂が流入した箇所が存在し、復旧に時間を要すそうだ。
 
 
【撮影日:14.09.13./掲載日:15.11.10.】
 写真はホームの只見側から会津川口側を臨む。ロケーションとしては結構開けた場所に駅が存在する。
 ここのホームの前後の区間は除草した形跡が認められた。おそらく地元の方がボランティアで実施したのではないかと思われる。地元にとっては只見線はあって欲しい存在だという思いがあるんだな、ということが解る。私も残せるものなら残って欲しいとは思うが、思いだけでは鉄道を残せないという現実もある。
 
【撮影日:14.09.13./掲載日:15.11.10.】
 写真は会津大塩駅の只見側にある新田踏切(75km567m)で撮影したもの。この踏切には警報器はない。道路は普段から使われているということもあって変わりはないが、路盤の方は雑草がこんもりと茂っており、手入れされた形跡はない。写真左に白い杭のようなものが見えるが、これは実は勾配標で、勾配を示している表示の腕は、ねじが緩んで力なく下がってしまい、地面を指し示していた。
 
【撮影日:14.09.13./掲載日:15.11.10.】
 写真は駅の北側、国道252号線のそばにある、冊子「只見線の旅」にも書かれている“大塩地区体育館”がある。体育館の入口の柱(写真の中央付近)には「JRバス乗車場」という看板が置かれていて、代行バスの停車場所がはっきり判るようになっている。しかしその場所には時刻表は見当たらなかった。もしかしたら体育館の中に掲示されているという可能性もあるが、その確認はしていない。
 その同じ柱には「代行バス5000人乗車キャンペーン!!」と「只見線のりのり倶楽部」とい文字が赤紫色で印刷された幟が建てられていた。また別の場所には「乗ろう!守ろう!つなごう!みんなの只見線」と書かれたフルカラー印刷の幟も立てられていた(写真の上にマウスを合わせると、幟の写真を表示します)。地元の方々が只見線復旧を願って作成されたものと推測できるが、その願いは届くのだろうか。
 
【撮影日:14.09.13./掲載日:15.11.10.】
 写真は2011(平23)年の新潟・福島豪雨の時に流されてしまった、会津横川-会津大塩 間に架かっていた第七只見川橋梁の場所。ここの橋梁は上路トラスト橋梁だった。河原に残された橋脚の高さからすると、災害時にはその橋脚の上まで水面が来ていたということになり、水嵩がとんでもない量であったことが推測できる。撮影時、見た目には橋梁の残骸物などは見当たらなかった。
 写真の撮影は、橋梁に平行するような形で金山町道の「四季彩橋」というポニー中路アーチ橋が架かっており、そこからズームで狙ったもの。
 
 
 

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