HOME東北福島臨海鉄道本線

福島臨海鉄道 本線
水素前 【次の掲載駅】 栄町
小名浜  Onahama
  2015年1月:旧駅
【撮影日:15.01.12./掲載日:15.01.25.】
 
写真は小名浜駅の東側から西に向かって眺めたところ。
 前日から始まった小名浜駅の移転だが、かつてコンテナが沢山積まれていた線路に挟まれた「島」には既にコンテナは一個も無かった。写真には写っていないが、駅の片隅にあるテント張りの倉庫が、重機によって早速取り壊されていた。
 広々と見える駅構内が寂しく見える。
【撮影日:15.01.12./掲載日:15.01.25.】
 
小名浜駅の構内の北側には検修庫のような建物が建っている。その中には機械扱いの車輛だろうか、小さなスイッチャが一台停まったままになっていた。この写真を撮った時点では、既に旧駅の線路と本線は切り離されており、旧駅の線路は袋小路同然になっていた。ということは、このスイッチャーは旧駅と運命を共にするということなのだろうか。
【撮影日:15.01.12./掲載日:15.01.25.】
 
旧駅西側にある渚踏切。線路の切り替え工事の最中であったが、すでにこの踏切の遮断桿が外されていた。
【撮影日:15.01.12./掲載日:15.01.25.】
 
写真は旧駅の西側にある渚踏切から東(旧駅構内)側を見たところ。渚踏切には左側の本線と、右側の日本化成(旧・日本水素)への専用線の2本の線路が交差していたが、右側の線路は、この写真の180度反対側は何年も前から既に断ち切られており、使われなくなってからかなりの時間が経っていると思われる。逆に言うと、今になってやっと撤去が始まったという書き方もできる。しかし線路が無くなっていくというのは、本当に廃止になってしまうんだということを突きつけられる光景だ。
 
【撮影日:2015.01.18./掲載日:2015.01.25.】
 
写真は上の写真から1週間後の同場所からの撮影だが、ちょっとだけ奥側にズームしている。まだ廃止から数日しか経っていないというのに、本線側のレールも剥がされてしまい、砂利の広場が広がっていた。これだけ急速に撤退が始まっているのは、今後この地に建てられる「イオンモール」との絡みなのだろう。
 津波の被害を受けたにもかかわらず復活した小名浜駅だったが、その後に浮上した港湾地区の再整備とともに移転という名目で消えてしまうことになってしまった。
 
 
  2015年1月:新駅 
【撮影日:2015.01.18./掲載日:2015.01.25.】
 
写真の建物は、新しい福島臨海鉄道の新社屋。写真では判りづらいが、建物の右面の上部に会社の社紋と社名が掲げられている。
 建屋の手前に踏切が見えるが、これは廃止になった旧・高山踏切である。
 
【撮影日:2015.01.18./掲載日:2015.01.25.】
 
写真は元・隼人4号踏切。警報器と稼働の柵の間に旧本線があり、稼働の柵の向こうに新駅の敷地が広がっている。新駅の敷地は日本化成(旧・日本水素)の敷地を利用したもの。国土地理院の空撮だと、1970年代は社宅のようなものが並んでいる様子が映っており、駅の敷地になる直前(2012年)は建物は数戸があっただけで、あとはグランドと雑木林になっていた。
 
【撮影日:2015.01.18./掲載日:2015.01.25.】
 
元・隼人4号踏切から泉方面を見たところ。手前の線路が旧本線、すでに新駅の構内の線路とは繋がっていないことが判る。新駅の構内も大きくカーブしているのが判るが、そのカーブの先が元・水素前駅の場所になる。
 
【撮影日:2015.01.18./掲載日:2015.01.25.】
 
上の写真とは180度反対方向を見たところ。写真中央の奥に見える建屋だが、線路が吸い込まれている様子が判ることから、これが新しい機関車の研修庫になるのだろうか。
 
【撮影日:2015.01.12./掲載日:2015.01.25.】
 
旧本線の向こう側に、新駅の構内が広がる。位置的には新駅に南側になる。既にコンテナの搬入が済んでおり、あとは営業開始を待つばかりの状態になっていた。
 そして旧本線だが、ここは今後どのような処遇になるのであろうか。
 
【撮影日:2015.01.12./掲載日:2015.01.25.】
 この写真は新駅の西側から構内を撮ったところ。この2本見える線路だが、直接本線には繋がって折らず、本線に出場するには東邦亜鉛の専用線に一度引き出す必要があるという謎の線路である。
 今後、時間があったらこの辺の使い方がどうなっているのか観察してみよう、ということで宿題。
 
 

▲このページのTOPへ戻る