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江名鉄道
水産高校前 【次の掲載駅】 馬落前→    
永 崎 Nagasaki
 ●14年4月
【撮影日:14.04.27./掲載日:18.04.10.】
 かつての永崎駅は、写真左側に見える建ち並んだ家々とその前の道路のあたりにあったようだ。永崎の町中から見ると南西側に寄った位置に存在していた。
 永崎駅は江名鉄道唯一の列車交換ができ、貨物側線も有する中間駅であった。写真でも見て判るように、駅前には幅の広い砂浜と広大な太平洋が目前に海岸が広がっていた。戦後は小名浜の方に多くの海水浴客が来ていたが、昭和30年代に入ると小名浜の工業地域化で海岸が埋め立てられていった。そこで磐城市(当時・現在のいわき市の成立は1966(昭41)年)は、小名浜にやって来ていた海水浴客を取り逃がさないために、ポスト小名浜海水浴場として永崎海岸を大いに売り込んだそうだ。その結果、永崎駅には夏期に平(現・いわき)からだけではなく、遠くは郡山や須賀川からも磐越東線経由の臨時列車が設定されたこともあった。その臨時列車は、小名浜臨港鉄道(現・福島臨海鉄道)のディーゼル機関車が、5~6輛の国鉄の客車を牽引する形だったという。
 この写真を撮影した頃は道路から海を見渡せる景色の良いところだった。しかし掲載日現在では数百年に一度起こるであろう津波災害から人命を守るため、嵩上げと堤防工事が進められ、この景観は失われてしまった。
【撮影日:14.04.27./掲載日:18.04.10.】
 上の写真の180度反対側、小名浜方向を見た景色。この箇所は道路から海側に小さな膨らみがついた平坦な土地になっているため、他のネットではここが永崎駅だったとするものがあったりするが、そう書きたい気持ちは解りつつも、残念ながら不正解である。私がこの写真を撮るために立っているあたりが、駅構内の小名浜側の端あたりと想像される。
 かつてこの膨らんだあたりには、海岸線の方まで山が張り出すように存在していた。写真右側の看板の後ろ側にコンクリートが吹き付けられた山の斜面が見えるが、これは山が切り取られた跡である。山があった時代、小名浜と江名を結ぶ旧道には右側に見える墓地とコンクリートが吹き付けられた場所の間あたりにトンネルが存在した。江名鉄道については、トンネルを掘削を回避して海岸線をトレースするように敷設されていた。山は時代を経る毎に削られて徐々に平坦地となってゆき、昭和50年代になって元・永崎駅の前後の区間で江名鉄道の路盤を利用したバイパス道路工事が行われると、山は旧道のトンネルもろとも崩されて無くなり、写真のような地形となった。この様子はいずれも国土地理院の空撮アーカイブで確認できる。ちなみに永崎を通る路線バスは、このバイパス(いわきサンシャインロード)を通らず、掲載日現在も一貫して旧道を経由している。
 
【撮影日:14.04.27./掲載日:18.04.10.】
 上の写真よりもうちょっと小名浜側に行った場所の写真。
 江名鉄道の水産高校前駅から永崎駅の間は海岸線をトレースするように建設された。それが徒となって、1965(昭40)年夏に永崎付近が台風被害にあって護岸崩壊し鉄道が運休する(場所はどこかは判らず)。仮で復旧をしたものの、半年後に関係当局から仮復旧部の安全性の問題を指摘されて運休となり、本格復旧の工事費用が工面できずに1968(昭43)年に江名鉄道は廃止されることになってしまう。行政の方から安全上の理由で運転中止の命令が下った結果、廃止になってしまった鉄道というのは、私の知る限り江名鉄道の他は神奈川県にあったドリーム交通→ドリーム開発のドリームランド線(大船-ドリームランド)くらいだ。
 おそらくこの護岸も廃止後の江名鉄道の路盤を利用して造られたのだろう。写真に所々で護岸が崩れて黒いフレコンバッグの土嚢が積まれている箇所が見えるが、これらは東日本大震災の津波によって壊された箇所である。
 
 
 

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