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江名鉄道
永崎 【次の掲載駅】 中之作
馬落前 Mōjimae
 ●14年4月
【撮影日:14.04.27./掲載日:18.04.14.】
 江名鉄道は1953(昭28)年1月に全線を開業させているが、唯一当駅だけは路線開業から4ヶ月ほど遅れて開設されている。
 写真は永崎の町の北東にある中之作へ新旧の道路が分岐する信号付近から、永崎・小名浜方向を見たところ。道路は永崎の町中に向かって下り坂となっいる。当初は江名鉄道の線路敷も現状の道路に沿って、この長く緩い勾配で敷設されていたのかなと思っていた。しかしそれは正しくなく、道路上には戦前、磐城海岸鉄道の線路が通っていたようだ。では江名鉄道はというと、国土地理院の空撮アーカイブなどを見ると、撮影日現在は写真左側の「丸中製氷冷蔵」社とその隣にある馬落前霊園(写真では見えていない)の敷地内を通り、道路より一段高い場所を通っていたように見える(左の写真にロールオーバーさせると、私が推測する路盤跡が表示されます)。線路はその後海岸線に出る前に勾配を下りながら川畑川を小さな橋で越え、地平に下りた後に海岸線に沿って永崎駅に向かうというルートであったようだ。路盤跡については道路の拡幅工事や近隣の造成によってかなり消失しているが、坂の下側に2段になったコンクリート吹きの切り取り斜面があったり、Googleマップで馬落前霊園を見ると道路側のお墓の並びが他のお墓に比べて綺麗に整列しているなど、何かを匂わせるものが残されている。ホームの場所については、過去に作成された国土地理院の地図の位置から馬落前霊園の前後の辺りかと思われる。
 地名の由来は判らないが、それにしても「もうじまえ」とは読み方が変わっている。いわき市内には"馬"を"も"と読ませる名字を持つ方もいるので、地域的に独特な読みである可能性がある。"落"については"馬"の読み方と重なって発音が転訛したものかもしれない。地名に'前'の字が入っているが、他に'馬落'の文字が入る地名は近隣に存在しない。
 ちなみに写真の正面中央に見える建物は、関東では蒲鉾でおなじみの「夕月」の元・本社建屋。現在、事務や生産の主力機能は市内の別の場所(福島臨海鉄道の旧・滝尻駅から南方向)にある。
 
【撮影日:14.04.27./掲載日:18.04.14.】
 奥のトンネルは江名鉄道の廃線跡を利用して造られたもので([鉄道]中之作第一トンネル→[道路]中之作南トンネル)、現在はこちらが江名方面に向かうメインルート(いわきサンシャインロード)になっている。しかし元からある道は右に分岐している細い道のほうで、中之作の町中と港を経由して江名に繋がっている。この路上に、戦前は磐城海岸軌道の線路が敷設されていたようだ。一方、戦後の江名鉄道の線路は私の撮影位置からトンネルへ向かって延びていて、そしてこの右に分岐する路上に有人の踏切があったそうだ。
 写真右側に三角地の空き地が広がっていて、かつこの場所は勾配も緩く、国土地理院の空撮アーカイブを見るとこの辺りにホームがあったようにも見える。少数ながらもここに駅があったという話も散見される。ただ個人的には現状、こちらの可能性はかなり低いと考えている。というのも、踏切の永崎側に馬落前のホームがあった(つまり写真撮影位置より後方)というようなことを説明している文章を見ていることもその理由だ。
 江名鉄道廃止後、路盤の全区間は道路として整備されることになり、掲載日現在はいわきサンシャインロードの南部区間を構成している。江名鉄道廃止後の地域交通は常磐交通→新常磐通が担っているが、路線バスは掲載日現在も一貫して町中を縫う、所要時間も延びる旧道をルートとしており、新道である旧江名鉄道の線路跡上に路線バスは(新道と旧道が重なる部分を除いて)現在も設定されていない。
 
 

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