JR北海道 札沼線 | |
←札幌 【次の掲載駅】 新十津川→ | |
石狩当別 | Ishikari-Tōbetsu |
●1994年3月 訪問時 | |
【撮影日:94.03.20./掲載日:17.11.23.】 感熱紙タイプのきっぷだが、光を当てないように保管していても20年以上も経つと色が褪せてくる。こうなることは当時から解っていたので、スキャナーを購入してからは、保管できる切符を購入できたときは購入後すぐにデジタル化するようにしている。 |
|
【撮影日:94.03.20./掲載日:17.11.23.】 この当時の下り側隣駅は「北海道医療大学」に改称する前の「大学前」であった。 大学前は1981(昭56)年12月に仮乗降場として開設されたことに始まるが(5ヶ月後の新年度の開始に合わせて(?)正駅に昇格)、国鉄にしては随分抽象的でバス停っぽい名前の駅名をつけたものだと思っていた。その後1986(昭61)年11月に同線にあいの里教育大が開業するが、大学前はそのままの駅名で据え置かれ、駅名格差(?)ができてしまった。北海道医療大学への改称は1995(平7)年3月のことで、この訪問のほぼ1年後のことになる。 |
|
【撮影日:94.03.20./掲載日:17.11.23.】 駅舎の壁、1番線ホームに掲額されていた駅名の標示。記念の意味はあるのだろうが、どういう経緯で設置された物かよく判らないし、意図もよく判らない。でも橋上駅舎化後も残されているようだ。 |
|
【撮影日:94.03.20./掲載日:17.11.23.】 掲載日現在では、当別町の玄関として立派な橋上駅舎となっている当駅。 私が訪問したときはまだ木造平屋のローカルな雰囲気の駅舎だった。駅舎の大きさの割に利用客が多く、すでに手狭になっている感じであった。駅の構内ではすでに駅舎の新築工事が始まっており、私の訪問から8ヶ月後には現在の橋上駅舎の供用を開始している。 ということは、写真の駅舎は解体される直前ということになる。私はその工事の情報を知らなかったこともあって、今となっては引きの状態でちゃんと駅舎の全容の写真を残しておかなかったのがやや悔やまれる。 |
|
【撮影日:94.03.20./掲載日:17.11.23.】 写真のキハ40 210は石狩当別までの乗車に利用した車輛。 キハ40 210は略歴は以下の通り。1980(昭55)年11月新潟鉄工製、新製配置は函ハコ。都市近郊輸送化改造(座席の2+1化)された後に1993(平5)年8月に札ナホに転属。写真はこの頃に撮った物になる。1994年9月にワンマン化改造でキハ40 820に。その後、高出力機関換装や汚物循環処理装置の設置が行われている。掲載日現在はキハ40の老朽廃止が進行している中、未だ現役で頑張っている。(2020(令2)年5月廃車) ◆写真の列車情報◆ 札ナホ キハ40 210(他1輛) 1047着 549D[普通]札幌→石狩当別 (次運用は不明) |
|
【撮影日:94.03.20./掲載日:17.11.23.】 3番線に停車中のキハ53形500番台による[普通]新十津川ゆき。 駅構内の北側(写真左側)は広場になっており、少ないながらも工事の資材などが置かれていた。訪問時は単純に貨物側線の撤収工事か何かと思っていたのだが、今になって解るのはこれが駅舎新築工事の準備だったということ。 写真のキハ53 500番台は、ローカル線での2機関搭載車の単行運転を目的に、キハ56を1986(昭61)年に改造して誕生した。改造に際しては運転台のない側に同系他車の運転台部分を取り付けられた。しかし活躍は10年に過ぎず、キハ40の高出力機関換装車との運用入れ替えにより1996(平8)年には全車廃車となっている。 ちなみに国土地理院の写真アーカイブを見ると、1986(昭51)年のころの当駅には側線は写真左側に1本のみで、その外側はすぐ道路であったようだ。側線の新十津川側にはターンテーブルと単線の車庫が残っていた。また当時は跨線橋は無く、構内踏切で2・3番線と駅本屋が結ばれていた。 ◆写真の列車情報◆ 札ナホ キハ53 504 1110発 5425D[普通]石狩当別→新十津川 |
|