HOME西中部三岐鉄道北勢線

三岐鉄道 北勢線
麻生田 【次の掲載駅】    ||  
阿下喜 Ageki
 ●2015年10月 訪問時
【購入日:15.10.11./掲載日:16.01.22.】
 番号:0270。
 阿下喜の地名の由来を調べたところ、2つ見つかった。ひとつは、河岸段丘の上にあることを意味する"あげ"を由来とするものだが、これはあまりに平凡だ。もうひとつは当地の材木が伊勢神宮の建材として奉納されたことから"上木(あげき)"というようになったというもので、こちらにはストーリー性を感じる。当てられた漢字については音を合わせただけと推測されるので特に意味がないと思われるが、この漢字を当てたセンスは、なかなかユニークだと思う。
 
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:16.01.22.】
 阿下喜駅のスタンプは、2006(平18)年に新しくなった駅舎がモチーフ。下部にあじさいがあしらわれているが、駅最寄りの「万葉の里」にあるあじさいを名所としていることが、由来となっているのだろう。ちなみにこの「万葉の里」には万葉集に歌われている植物の殆どを見ることができるそうだ。また新駅舎開設と同年にできた阿下喜温泉には「あじさいの里」の名前が与えられており、当地があじさいを中心とした観光作りをしていることが窺える。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:16.01.22.】
 駅員さん曰く、CSテレビの日テレプラスから借りているスタンプだそうだ。
 私はスカパー視聴者ではあるが、日テレプラスはこの当時見ておらず、申し訳ないがこの番組の存在は知らない。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:16.01.22.】
 なぜかこの駅にはいわゆる駅名標がない。その代わりにあったのが、写真のようなA4の印刷物。これはこれですごく珍しい。でもこれでいいのか!? と別の感慨も湧く。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:16.01.22.】
 2006(平18)年に建て替えられた駅舎は壁が飾り気のない板張りではあるが、窓と出口部に設けられたガラスの風よけがお洒落チックにレトロ感を演出している。写真に撮ると壁の色が暗くなりすぎるので、掲載の写真は明るさを強めに入れてデジタル補正している。
 写真左に建つ街灯は、駅のスタンプの中でも見ることができる。実はこの街灯は芸が細かく、頭の弧状の部分にあじさいの絵が透かしになって入れられている。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:16.01.22.】
 ホーム上屋を支える柱に取り付けられた、「日本最西端のナローゲージ駅」の標示。…まあナローゲージ自体が訪問時現在では富山県と三重県にしかないし、最西端よりもナローゲージという方が稀少性が高いので、最西端という言葉がいまいちインパクトに欠いてしまう感がある。もしかしたら、「日本最西端の○○」という中では最も東にあるんじゃないかなって勝手に思ってしまった。
 ちなみに私が趣味で鉄道を全国的に認知しだした小学生の頃には、旅客のナローゲージ鉄道は既に4社6路線しかなかった。残っていた当時のそれらは西武山口線(旧)、黒部峡谷鉄道、近鉄北勢線・内部線・八王子線、下津井電鉄(既に茶屋町-児島 間が廃止になっていた)で、廃止され数年が経過した尾小屋鉄道は当時の認識には無かった。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:16.01.22.】
 低めの位置から電車を撮影。こうすれば小さく見える電車も、幾分かは普通の電車に見えてくるか…!?。

 ◆写真の列車情報◆ K75編成 クハ145(+サハ135+クモハ275) 1239発 阿下喜→西桑名(※ この北勢線巡りでの列車番号は不明)
 
  ■軽便鉄道博物館
【撮影日:15.10.11./掲載日:16.01.22.】
 阿下喜駅の南西側に、ホームと平行するように線路が敷かれている。これらは駅に併設するようにしてある軽便鉄道博物館の施設である(三岐鉄道の管理ではない)。
 ターンテーブルに繋がる方は762
mmゲージの線路で、保存車輛の近鉄モニ226の載る線路に繋がっている。実際にターンテーブルが活用されているかは不明。
 その周りをリバースしている線路はさらに軌間が狭く、こちらは遊覧用のモーターカーが周回しており、往復の区間では762mmゲージの片側の線路を共用している。
 さらに762mmゲージの内側に、模型用と思われるゲージが敷設されている。
【撮影日:15.10.11./掲載日:16.01.22.】
 通常は第1・3日曜日にしか開館しない軽便鉄道博物館であるが、この日は地元の「阿下喜 秋の市」と協賛して、第2日曜日にもかかわらず開館していた。正直なところ私は、博物館の開館日も「秋の市」の存在も知らずに当地を訪問していたので、開館していたことはとてもラッキーであった。
 写真は建屋の中の展示された掲示物。中には三岐鉄道譲渡後に廃止になった駅の駅名表示や、かつての写真、歴史、模型など様々のものが展示してあり、来場した方々を飽きさせない工夫が感じられた。一部グッズの販売もしている。こちらの博物館には入館料はないが、小屋の中央のテーブルにカンパの募金箱が置かれていた。私も幾許かを寄付させていただいた。
 展示の中で私が一番記憶に残っているのは、1957(昭32)年に発生した上笠田(楚原-麻生田 間にあった駅で三岐鉄道譲渡後に廃止)-麻生田で発生した脱線転覆事故の痛ましい記事だった。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:16.01.22.】
 写真はモニ220形のモニ226。
 北勢鉄道のモハニ50形として1931(昭6)年として6輛が一次車が製造され、その最終番号であるモハニ55が後のモニ226となる。1944(昭19)年に三重交通と合併したときにモニ221形に形式変更され、モハニ55はモニ226となる。モニ221形は戦後に2次車として3輛が追加製造されている(1輛は北勢線、2輛は三重線〔現在の湯の山線と内部・八王子線〕に配属)。1965(昭40)年に近鉄と合併されると、モニ221形はモニ220形に形式変更され、その後間もなく連結器がピン・リンク式から自動連結器に変更された。
 1977(昭52)年に北勢線に270系が投入されると、モニ220形の一部は電装解除しク220形、荷物室を廃してモ220形となったものもあったが、モニ226は他の4輛と共に内部・八王子線に転籍される。1982(昭57)年に内部・八王子線にも260系が導入されると、モニ226はモニ225とともに1983(昭58)年に廃車となった。
 廃車後のモニ226は好運にも静態保存されることになった。当地で保存されることになったのは2011(平23)年からだが、移送時の状態はかなり劣悪だったようで、復元には苦労したようである。しかしその甲斐があって、今でも写真のような美しい状態を見ることができる。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:16.01.22.】
 モニ226の運転台の様子。至ってシンプルである。窓越しには三重交通色のミニ電(最下欄参照)が見える。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:16.01.22.】
 荷物室から客室側を見る。木造の室内の様子が判る。つり革も文字通り「革」で輪が吊されていた。ただ網棚は網ではなかった。
 
【撮影日:15.10.11./掲載日:16.01.22.】
 黄色の遊覧用のモーターカー。博物館の方々は「ミニ電」と呼んでいるようだ。黄色のミニ電の他にも、三重鉄道色と、近鉄マルーン色の牽引機もある。それとは別に軌道自転車もあった。ミニ電の運転は博物館の方が担当するが、ミニ電の客車と軌道自転車は来場者が乗ることが可能だ。
 
 

▲このページのTOPへ戻る