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東海旅客鉄道 飯田線
三河川合 【次の掲載駅】 東栄
池 場 Ikeba
 ●2013.10.訪問時
【撮影日:13.10.05./掲載日:16.08.04.】
 
 
【撮影日:13.10.05./掲載日:16.08.04.】
 駅への入口の道を、飯田線に平行する国道151号から見たところ。
 池場は戦時国鉄買収時に廃止、戦後になって復活した駅のひとつであるが、同じ経緯を持つ上市場、早瀬の駅と同様に、駅を出入りする周辺に駅の存在を示すような表示のたぐいが見当たらない。道路すぐ脇にある早瀬はともかく、駅がどこにあるか判りづらい。当駅には東栄駅から歩いてやってきたのだが、現代の文明の利器、GPS機能付き地図とスマホがなかったら通り過ぎていたかもしれない。
 駅は新城市に属しているが、駅のすぐ北東側に東栄町との境がある。
 
【撮影日:13.10.05./掲載日:16.08.04.】
 池場駅は棒線配置の駅。線路が開業した1933(昭8)年12月には池場駅は開設されていない。ホームに充分な幅がないのは、後付けで造った駅だからということなのだろうか。
 
【撮影日:13.10.05./掲載日:16.08.04.】
 待合室の右上部分に、新しく造られた建物資産標が目に入った。オレンジの帯が入っているのがJR東海らしい。
 このページを作成しているときに気がついたことがある。池場駅は、線路が当地を通った約3年後の1936(昭11)年11月に開設され、国鉄に買収された1943(昭18)年8月に一旦廃止される。その後地元の請願で1946(昭21)年12月に復活している。
 ところがこの資産表は「S.19.12」と刻まれている。そのままの意味で解せば、1944(昭19)年12月の駅が廃止されていた時期に待合室が造られたことになる。物資が乏しい時代、列車が停車しない駅に待合室を造る理由はどのような意味があるのだろうか。これは打刻した年月を間違えているのでは? と疑いたいところだが、良きに解せば、駅の復活を強く願って建てられとともとれる。…真相は謎である。
 
【撮影日:13.10.05./掲載日:16.08.04.】
 ホームの中程に、飯田線のサミットがある。地形上の分水嶺は線路のもっと奥側にあるのだが、飯田線はそこまで勾配を登ることを諦めてこの地点から下り勾配になって掘り割りを進み、分水嶺はトンネルで通過している。ちなみにここの分水嶺となる川は、手前側が天竜川水系の相川の支流であり、奥側が豊川水系の宇連川の支流になっている。
 
【撮影日:13.10.05./掲載日:16.08.04.】
 213系5000番台による548M[普通]中部天竜発豊橋ゆきが到着する。ホームの幅が狭く、緩く湾曲しているので、列車が飛び込むように入線してくる印象である。

 ◆写真の列車情報◆ 海カキ 213系5000番台 H3編成 クモハ213-5003(+クハ212-5003) 1552発 548M[普通]中部天竜→豊橋
 

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