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西日本旅客鉄道 山陰本線・因美線
浜坂 【次の掲載駅】 浦安
鳥 取 Tottori
 ●1997年10月訪問時
【購入日:97.10.12./掲載日:19.05.15.】
 
【撮影日:97.10.12./掲載日:19.05.15.】
 
【撮影日:97.10.12./掲載日:19.05.15.】
 鳥取駅の名物駅弁のひとつであるかに飯。感想は正直なところ、酢が効きすぎていて酢飯を食べたとしか印象に残っていない。でも駅弁ということを考えると、保存を利かすため仕方がないのだろう。もし今食べたらまた違う感想になるのかなぁ。
【撮影日:97.10.12./掲載日:19.05.15.】
 駅構内は、島式2面2線のほかに、ホームを持たない2本の通過線が中央と南側にある。
 国鉄首都圏色と福知山色のキハ47形が駅で並ぶ。
 
 ◆写真の列車情報◆ (左)福フチ キハ47 (倉吉側後尾車、2輛編成、車番不明) 1218発 534D[普通]鳥取→浜坂
              (右)配置不明 キハ47(倉吉側先頭車、2輛編成、車番不明) 1216発 257D[普通]鳥取→米子
【撮影日:97.10.12./掲載日:19.05.15.】
  鳥取県内の街々を結ぶ速達列車[快速 とっとりライナー]。鳥取と米子を結ぶ快速は一日6往復が設定され、訪問当時も掲載日現在も本数自体は変わっていない。当時は明確な速達性をもって停車駅を絞っていたのに対し、掲載日現在では停車駅も増え、中には[区間快速]のように各駅停車する区間が長い列車があったりとグレードダウンしている感は否めない。運転区間がほぼ単線ということもあって[特急 スーパーまつかぜ]など・[快速 とっとりライナー]・[普通]のそれぞれを棲み分けてダイヤ設定するのが難しいのかもしれない。ただ掲載日現在の[快速 とっとりライナー]はキハ126形が使用されており、体質改善は図られている。

 ◆写真の列車情報◆米トリ キハ28 2410(城崎側後尾車、2輛編成) 1210発 3255D[快速 とっとりライナー]鳥取→米子
 
【撮影日:97.10.12./掲載日:19.05.15.】
 発車間際の京都ゆき[スーパーはくと6号]。この時が私にとって智頭急行7000形の初見であった。個人的にではあるが、この傾斜した大窓を採用した運転台を見ていると、なぜかスリッパかジンベイザメを思い出してしまう。実物を見て思ったのは、大きく覆われた連結器カバーと相俟ってとても大柄で、とにかく存在感を強調している車輛だな、ということであった。
 掲載日現在は智頭急行7000形が担当する7往復の[スーパーはくと]が設定されているが、当時は智頭急行車担当の5往復の他に、JRが担当するキハ181系の1往復の[はくと]が設定されていた。このJR[はくと]は通常倉吉発着であったが、臨時で米子発着となる日があった。
 ちなみに掲載日当時は鳥取-岡山 間の[スーパーいなば]の登場直前で、廃止まで1ヶ月半ほどとなった[急行 砂丘]が最後の活躍をしていた時期であった。

 ◆写真の列車情報◆智頭急行HOT7000系(倉吉側後尾車、5輛編成、車番不明) 1149発 56D[特急 スーパーはくと6号]倉吉→京都
 
【撮影日:97.10.12./掲載日:19.05.15.】
 因美線を直通してきた、若桜鉄道のWT2500形・さくら3号。車体はこの当時ローカル線向けに種々の鉄道会社で盛んに造られていた軽量気動車タイプである。
 WT2500形は1987(昭62)年の若桜線の第3セクター転換時に4輛導入された車輛。のちの2002(平14)年に保守や降雪時の運転の対策からエンジンの交換が行われWT3000形となって、現在も活躍が続いている。写真のWT2503は改造後にWT3003になり、さらに掲載日現在では老朽化更新工事が行われ、昭和をイメージした内外装にデザインを変えているという。この時のデザインを手がけたのは今日の鉄道界で知られた工業デザイナー・水戸岡鋭治氏なのだが、昭和をイメージしたというよりも、単に水戸岡色の強いものになってる。
 
 ◆写真の列車情報◆ 若桜鉄道WT2500形 WT2503 1124発 335D[普通]鳥取→若桜
【撮影日:97.10.16./掲載日:19.05.15.】
 文字だけのヘッドマークを掲げたキハ181系。この当時の山陰地区ではキハ181用のイラスト入りヘッドマークの盗難が相次いでいた時期で、窮余の策としてこのような姿で[特急]の運用に就かざるを得ない列車が存在した。この時期は京都府・兵庫県内の山陰線とその支線で電化が続き、気動車列車の活躍の場が狭められていた頃ではあった。
 しかしこの訪問後・掲載日現在までに電化延伸された山陰本線周りの路線は小浜線・舞鶴線・ちょっと離れた加古川線といった支線系のみである。意外に山陰本線での電化延伸がなかったのである。
 電化ということでいえば、写真の高架線のホームの上空を見ると、電化に対応できそうな鉄骨が組まれているような感じがする。
 
 ◆写真の列車情報◆米トウ キハ181 23(城崎側先頭車、3輛編成) 1129着 2040D[特急 くにびき]益田→鳥取
【撮影日:97.10.12./掲載日:19.05.15.】
 おまけ・その1。鳥取砂丘へ行くために利用した日本交通(鳥取本社)のバス。行先表示がずばりそのまま「砂丘」のみというのは随分と潔い。
 
【撮影日:97.10.12./掲載日:19.05.15.】
 おまけ・その2・砂丘の上から日本海を見る。写真では右側(北)が雲が多く、左側(南)は綺麗に晴れていた。ちょうど前線が通過でもしていたのだろうか。この日の移動は未明の敦賀で雨に降られた以外は好天に恵まれていた。
 
 

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