| 新潟交通 電車線 | |
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| 東関屋 | Higashi-Sekiya |
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【撮影日:98.10.10./掲載日:26.07.24.】 番号:7111。 |
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【撮影日:98.10.10./掲載日:26.07.24.】 東関屋駅駅舎。写真の駅舎は1992(平4)年の白山前-東関屋 間が廃止されたのに伴い改築されたものと紹介されている文章を多くネットで見るが、これを読んでいても正式に区間廃止となった4月の時点で工事が始められたのか、途中だったのか、終わっていたのかがイマイチ不明である。ただ駅構内の整備とバスターミナルの開設は区間廃止後に行われたようである。駅舎には駅営業の他に、電車部の事務所、旅行センター、コンビニが入居していた。 東関屋駅の自社バスとの連絡は区間廃止以前から行われていたようだが、本格的に結節点として展開を始めたのはバスターミナル開設以降のようである。当時のバスの連絡は市内方向に対してはバスターミナル折り返すバスを設定していた。一方郊外方面に対してはターミナルにはバスを入れず駅前の道路にのバス停での連絡としていたが、不思議なのがバス停の設定が郊外方面行きのバスだけで、郊外から市内に入るバスについては東関屋駅のバス停が設定されていなかった。しかも夜になると当駅始発の市内方面のバスが設定がなく、そのため東関屋駅に到着した乗客がバスを利用して市内に向かおうとすると、東関屋駅の前後のバス停まで徒歩で移動しなければならなかった。 電車線が廃止された後はバスターミナルで折り返すバスは廃止され、路側の東関屋駅バス停は「関屋大川前一丁目」という現地の住居表示に合わせた名前に変わったが片道停車しばらくそのままだった。のちに郊外→市内のバスにも同名の停留所が設定され、ようやく双方向停車となった。2015(平27)年のバス系統の再編ではバス停名は「東関屋」と"駅"のい字を抜いて再改称されたが、バスは青山バス停(旧・東青山駅の西方)で系統分離されるような形となり、かつての電車線を沿うように運転されていた系統も、平日朝の月潟発新潟市内方面行きの1本を除き青山バス停での乗り換えが必須となった。掲載日現在もそのような運転形態は変わっていない。 |
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【撮影日:98.10.10./掲載日:26.07.24.】 駅舎内通路のようす。はっきり覚えていないが、写真左側に東関屋駅のバスターミナルが直結していたはずだ。右側が駅窓口で、その手前に出ている看板は1日フリー乗車券の販売を案内するホワイトボードの看板だった気がする。正面は見たとおりの改札口で、この時は中央1通路しか空いていなかったが、3通路分があることが判る。ホームの出入り口上部には下り発車と上り到着の時刻表と、反転フロップ式の発車案内装置が設置されていた。 |
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【撮影日:98.10.10./掲載日:26.07.24.】 別ページに掲載してある1日フリー乗車券の東関屋駅のところを見ると「駅構内及び列車集中制御装置の見学をどうぞ」と書かれていたので、駅員さんに許可をもらって見学させていただいた。 配線図を見ると左方向に余白があり、かつては廃止となった月潟-燕 間の配線図があったのだろう。一方、同じく廃止になった白山前-東関屋 間の配線図を描くスペースがないが、これは軌道回路を設けない特殊閉塞区間であったため省略されていたようだ。 今考えても、このような制御盤を間近で見る機会はそうそうないので、これは良い機会だと思った一方、これを書いている令和の時代だとセキュリティーを理由に見せてくれないのではないかと思ったりする。 |
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【撮影日:98.10.10./掲載日:26.07.24.】 東関屋駅の構内は、駅舎側(北側)頭端式のホームが2線あり、1番線が両面ホーム、2番線が写真のような片面ホームとなっていた。一方、信濃川側(南側)が車庫が隣接していた。 ◆写真の列車情報◆ モハ12 838発 924[普通]東関屋→白根 |
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【撮影日:98.10.10./掲載日:26.07.24.】 東関屋駅には車庫が併設されており、庫内には電車が何輛か停車していた。 月潟-燕廃止後の新潟交通には、8輛の日本車輌製車体で更新されたモハが残っていたが、クハは8輛が廃車され唯一クハ45形(クハ46)の1輛が残り、他に小田急から来たモハ2220形の2輛編成1本と、11輛の旅客列車が在籍していた。 モハの8輛は列車の出自の関係で、モハ10形3輛(モハ11, 12, 14)、モハ18形(モハ18)、モハ19形(モハ19)、モハ20形(モハ21)、モハ24形(モハ24・25)と、系統が細かく分類されていたが、連番とはなっていない。どの形式も見た目はどれもほぼ一緒で、外観で差が判りやすいのはヘッドライトの形だけくらいなのだが、これが形式を判断する材料にならない。形式は車体に書かれた車輛番号で判断するしかない。 |
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【撮影日:98.10.10./掲載日:26.07.24.】 写真は月潟側の先頭車モハ2230。 小田急で1984(昭59)年6月に廃車になった2220形のデハ2229+デハ2230を購入し、大野工場でワンマン化工事、排障器とバックミラーの取り付けが行われ1985(昭60)年1月に竣工、小田急時代の塗色をそのままに新潟交通へやってきた。新潟交通ではモハ2220形とされ、車輛番号はそのままとされ、ただデハをモハに変えただけであった。編成は2輛固定ということもあって、ラッシュ時間帯をメインに使用された。 |
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【撮影日:98.10.10./掲載日:26.07.24.】 写真は東関屋側先頭車のモハ2229。 新潟交通入線後はでは、同社唯一の高性能車、冷房車として活躍をした。モハ2229は入線時はモハ2230と同じ顔を持っていたが、衝突事故に遭ってしまったことで、1994(平4)年8月の全般検査と修繕時に貫通扉と方向幕が埋められ、モハ2230とは顔を異とすることになってしまった。 私が新潟交通訪問をしたわずか1ヶ月後に2220形はモーターの不具合が発生して休車となり、復旧することなく1999(平11)年4月の電車線の終焉を迎えた。 その後しばらくは放置されていたようで、2003(平15)年に他の車輛や電車庫とともに解体されたそうだ。 |