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蒲原鉄道
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五 泉 Gosen
   ●1998年10月
【購入日:98.10.10./掲載日:15.05.12.】
 番号:0169。五泉駅に切符については、駅名の前に(社)の字が入り、小児券切り落とし側にも丸囲み文字になって書かれている。これは国鉄→JR駅と区別するためだろうか、慣例的に入れられていたようだ。日付については「10.10.10.」と並びであるが、別に狙ったわけではなくてその日が何かと訪問に都合がよかっただけの話である。まだこの頃はハッピーマンデーの制度もなく、体育の日は10月10日固定だった。
 
【撮影日:98.10.10./掲載日:15.05.12.】
 駅名標だが、隣駅の標記が「いまいづみ」と"ず"を使っていない。今泉駅と村松駅では「いまいずみ」となっているので、五泉駅の表記が間違っている、ということになるのだろうか?
 
【撮影日:98.10.10./掲載日:15.05.12.】
 五泉駅の駅舎はプレハブのような造り。JRの駅舎とは別に建てられている。とはいっても、ホームに入ってしまえばJRも蒲原鉄道も関係なく通行は可能だった。
 
【撮影日:98.10.10./掲載日:15.05.12.】
 蒲原鉄道の五泉駅のホームを、連絡通路から撮影。JRのホームからは離れてぽつんと存在していた。
 
【撮影日:98.10.10./掲載日:15.05.12.】
 時刻表を見ると、終列車がやや早めに終わってしまう感じではあるが、他の時間帯はまんべんなく列車が設定されている(もちろんJR磐越西線との接続も考慮されている)のが判る。時刻表を見ると、一番列車と最終列車は休日運休となっているのがわかる。
 
【撮影日:98.10.10./掲載日:15.05.12.】
 五泉駅に到着する、鉄道の日のヘッドマークを掲げたモハ41。
 モハ41は1954(昭29)年の製造で、登場時は15m級の2扉の車輛だった。1963(昭38)年に西武所沢工場で16.7mへ車長を延長、3扉化、他形との混結が可能、などの改造を受けている。鉄道廃止後は五泉市総合会館に保管されている。
 わたしはこの車輛で五泉-村松 間を往復した。吊り掛け音をうならせて走る電車は懐かしかったが、軌道の状態があまり良くないようで、列車が揺れると共に架線とパンタグラフが時々離線を起こして、モーター音が途切れ途切れになっていた。
 この写真の場所だが、かつては駅の外側と繋がっていたのだろうか。踏切部分が切除されており、フェンスも比較的新しい。
 
【撮影日:98.10.10./掲載日:15.05.12.】
 側面に掲げられたサボ。加茂-村松 間廃止後、このサボも取り替えられることなく何年も走り続けていたのであろう。
 
【撮影日:98.10.10./掲載日:15.05.12.】
 モハ41の運転台。構成されている機器は至ってシンプルである。こうして見ると内張が木造になっており、モハ41が半鋼製車だということが判る。
 
【撮影日:98.10.10./掲載日:15.12.05.】
 モハ41の車内。この時でさえ、木板の床の車輛に乗るのはいつ以来だっただろうかと思ったものだ。そして、もしかしたら、私がこの木板の床の営業中の列車に乗ったのはこれが最後かもしれない。
 
【撮影日:98.10.10./掲載日:15.12.05.】
 モハ41の車内に掲げられていた運賃表。2区間3駅しかない三角表は手書きで、とてもシンプルだ。左上に改造時に取り付けられた「所沢車両工場」の銘板があった。
 
 

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