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東海旅客鉄道 飯田線
中部天竜 【次の掲載駅】 相月
佐久間 Sakuma
 ●2013.10.訪問時
【撮影日:13.10.02./掲載日:16.07.20.】
 13.10.02.訪問時は213系から下車。

 ◆写真の列車情報◆ 海カキ 213系5000番台 H11編成 クハ212-5011(+クモハ213-5011) 1047発 511M[普通]豊橋→平岡(※平時は天竜峡 終着)
 
【撮影日:13.10.02./掲載日:16.07.20.】
 佐久間駅でサクマドロップス。本当のところサクマドロップスは缶入りのものを用意したかったが、旅行直前に入手できなかったのがちょっと残念だった。この写真を同僚に見せたら、サクマドロップスがここで製造されていると勘違いされてしまった(笑)。
 実際には写真のサクマドロップスはサクマ製菓の製品で、缶入りの製品も緑色の缶に入って売られている(本社:東京都目黒区、工場:長野県佐久市)。一方で「火垂るの墓」で出てくる赤い缶のサクマ"式"ドロップは佐久間製菓の製品で別のもの(本社:東京都豊島区、工場:東京都八王子市)。会社としての出自は同じだが、カタカナと漢字の表記の違いで会社が全く別であることは今回の旅行で初めて知った次第だ。
 
【撮影日:13.10.02./掲載日:16.07.20.】
 当駅にはいわゆる駅舎というものはなく、写真は浜松市立佐久間図書館の建物である。その建物の左側部分が駅待合室となっている。
 当駅には10/2と10/5の都合2回訪問している。10/2の時は飯田線の天竜川鉄橋の横を徒歩で移動できることを知らず(というか完全に失念していた)、当駅から中部天竜駅まで遠鉄バスを利用する予定だった。そこで写真左端に移る遠鉄バス停でバスを待っていると、停留所前にトラックが横付けされて遠鉄のバス停を撤去し始めたのだ(!!)。撤去している業者さんに尋ねると、遠鉄バスは2日前の9/30をもって秋葉街道から中部天竜駅に入ってくる路線が廃止されたという。でもその代わりに水窪タクシー同区間を線を引き継いだというのだが、時刻までは同じで走っているかどうか判らないという。そこで図書館の方に急遽聞いてみると、その方もよく判らないという。おいおいどうする~? と考えていると、廃止された遠鉄バスのと同じ時刻に水窪タクシーのマイクロバスが駅に到着した。結果として、取りあえず予定通りの旅程で移動できることになったので取りあえず良かったが、バスの運賃は遠鉄バス時代の2倍となっていた。でも水窪タクシーには感謝だ。この時の運転士によると、乗ったバスが遠鉄バス時代と同じ時刻だったのは、この便がたまたまだったと話してくれた。
 この日ホテルに帰った後に遠州鉄道のホームページを確認したのだが、廃止されたバス路線の時刻は相変わらず掲示されており、その一方で別のページの目立たないところに廃止になる記事が書かれていた。少なくとも廃止されたバス路線と同じページまたはリンクの場所に廃止日の予告は書き込まれていて然るべきだろうし、廃止されたなら速やかに時刻表を削除すべきで、遠州鉄道のHP管理者には文句を言いたいくらいだ。
 二度目の訪問日となった10/5も、佐久間駅から中部天竜駅まで電車を使わず移動したが、この日は天竜川鉄橋脇の歩道を徒歩移動した(以下の記事を参照)。鉄橋の歩道の情報はバス停を撤去していた業者さんから聞き、思い出したものだった。
 
【撮影日:13.10.02./掲載日:16.07.20.】
 待合室の内部の様子。あまり掲示物を貼っていないでスッキリしていた。
 
【撮影日:13.10.05./掲載日:16.07.20.】
 13.10.05.訪問時は313系から下車。

 ◆写真の列車情報◆ 海カキ 313系3000番台 R105編成 クハ312-3017(+クモハ313-3017) 1040発 1504M[普通]平岡→中部天竜(※平時は天竜峡 始発)
 
 
【撮影日:13.10.05./掲載日:16.07.20.】
 天竜川橋梁を渡ってくる511M[普通]豊橋発平岡(通常は天竜峡)ゆき。3日前はこの電車に乗って佐久間駅を訪問した。
 写真は佐久間側から中部天竜側を見ている。歩道は鉄橋の右側にある。

 ◆写真の列車情報◆ 海カキ 213系5000番台 H6編成 クハ212-5006(+クモハ213-5006) 1045頃鉄橋通過 511M[普通]豊橋→平岡(※平時は天竜峡 終着)

 
【撮影日:13.10.05./掲載日:16.07.20.】
 天竜川橋梁を徒歩で渡る。この写真の場所は発電所を通ってきた水が天竜川に放流される場所である。
 佐久間ダム建設による線路付け替えは、初代の天竜川鉄橋の右岸(中部天竜)側の根元付近が南側の起点となっている。書籍などの情報で、初代の天竜川鉄橋の左岸側に橋脚の跡が残されているということは情報として仕入れていた。
 川面を見ながら橋を渡っていると、発電所のある右岸(佐久間)側に手前にステージのような妙な出っ張ったコンクリートがあることに気がついた。何だろうなと思ってみていたのだが、よくよく見てみると、その場所にコンクリートで7角形に塗り固められたイレギュラーな場所があるのに気がついた(左の写真にロールオーバーさせるとその場所が判ります)。この位置は、下項に掲げた左岸(中部天竜)側の橋脚跡と直線上にあり、横長の軸となる方向も揃っているように見えた。
 私はこれは初代の天竜川鉄橋の右岸側の橋脚の跡を塗り固めたものではないだろうかと疑っている。そう思ってこの旅行から帰宅後にネットを当たってみたのだが、そのような情報を見つけることができず、むしろ発電所建設時に消失したとされる情報しか出てこなかった。よって私の考えは今でも確定されていない。
 
【撮影日:13.10.05./掲載日:16.07.20.】
 こちらの写真の下部に写っているのは、佐久間ダム建設による線路付け替えで撤去された、初代の天竜川鉄橋の左岸(中部天竜)側の橋桁の跡。上でも書いたように、書籍やネットでも散見できる。それにしても橋脚跡の周りを横長の六角形の柵のようなもので囲まれているのだが、これは何のためだろうか。
 
【撮影日:13.10.05./掲載日:16.07.20.】
 写真は天竜川鉄橋を中部天竜側から対岸をとったところ。対岸に佐久間発電所を見るこの景色は、たまに鉄道の書籍などで見かけるものだ。時間帯としてはもう少し待てば中部天竜駅で上下の[特急 伊那路]が列車交換するはずだったのだが、私の訪問時は飯田線が台風災害で一部不通となって[特急]が全区間で運休となっていた。天竜川の川の流れは飯田線の上り方向に合致しているイメージがあるが、ここ中部天竜-佐久間 間に限っては川の流れが飯田線の下り方向になる。これは当地付近で天竜川はオメガ(Ω)を描くように流れる方向を変えているためである。またこの写真の上流側で支流の大千瀬川と合流しているが、大千瀬川の方が天竜川に直進している地形になっている。
 
【撮影日:13.10.05./掲載日:16.07.20.】
 橋梁の中部天竜側に建てられている「三信鐵道建設工事殉職碑」。三信鉄道は飯田線の三河川合-天竜峡 間を建設、所有していた。そのうち(旧)佐久間以北はほぼ平地がない天竜川左岸の崖を路盤の幅だけ切り開いたり、小さな谷に架橋したりと難工事を強いられ、そのため多くの殉職者を出している。現在こうして谷深い鉄道の旅を堪能できるのも、こういった方々の尽力と犠牲の上にあることを忘れてはならないと思い、手を合わせた。
 三信鉄道は開業当初から電気鉄道であった。蒸気機関車よりは勾配の走行には有利と思われるが、それでも長い片勾配ながらも急坂にならないように線路が敷設された。その建設の測量に当たっては有能なアイヌ人技師が携わっていたという。
 
 

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