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東海旅客鉄道 飯田線
下川合 【次の掲載駅】 佐久間
中部天竜 Chūbu-Tenryū
 ●2013.10.訪問時
【撮影日:13.10.02./掲載日:16.07.23.】
 1934(昭9)年11月の開業時には"佐久間"(初代)を名乗っていた当駅。そのわずか7ヶ月後に中部天竜(読みは「なかっぺてんりゅう」)に改名されている。駅開業の2年後に旧線の天竜山室まで延伸される。そして国鉄に買収された1943(昭18)年8月に、駅名の読みを現在の「ちゅうぶてんりゅう」に改名されている。
 "中部(なかっぺ)"という地名は天竜川の左岸にある地名なのだが、駅のある天竜川の右岸は"半場"という地名である。これが国鉄に買収されたときになぜ中部を"ちゅうぶ"と読み替えることにしたのかがよく判らない。ちなみに現在、住居表示として中部は"なかべ"という地名に読み替えられていて、読み不一致の状態はそのままである。
 
【購入日:13.10.02./掲載日:16.07.23.】
 
 
【撮影日:13.10.02./掲載日:16.07.23.】
 当駅は、浜松市内に所属する飯田線の駅(出馬-小和田)の中では唯一の有人駅で、また同区間のすべての無人駅を管理している。
 駅舎を見ていると、とにかく白いという感じだ。
 
【撮影日:13.10.02./掲載日:16.07.23.】
 ホーム側から駅舎を見る。やっぱり白い。
 
【撮影日:13.10.02./掲載日:16.07.23.】
 窓口周りはあまり掲示物が貼られておらず、すっきりしている。リニュアール工事の手も入っているように見受けられる。有人駅ということでみどりの窓口も営業し、自動券売機も設置されている。この周辺で駅巡りをしていると、券売機を久しぶりに見たという感覚になる(笑)。
 
【撮影日:13.10.02./掲載日:16.07.23.】
 駅の構内に遺跡があるというのは珍しい。でも展示物らしきものはない。
 ちなみに上の項にも書いたように"半場"は駅の現住所所在地。
 
【撮影日:13.10.02./掲載日:16.07.23.】
 ホームは1面2線しかないが、飯田線運転の拠点となっているため、比較的広い構内を有している。側線に213系の姿が見える(編成不明)。
 
【撮影日:13.10.02./掲載日:16.07.23.】
 元・佐久間レールパークの一部施設が入っていた建屋。レールパークとしては1991(平3)年~2008(平20)年まで営業していた。施設を閉じてから、訪問時で5年ほどが経過しているが、外観は「佐久間レールパーク」の看板が外された以外はあまり変わっていないらしい。でもこの施設自体の形を見ていると乗務員詰所のような格好をしており、元はレールパーク開設以前にあった中部天竜機関区の施設だったのかもしれない。
 レールパーク閉館後に、名古屋市内のリニア・鉄道館(2011(平23)年開館)に一部の展示物が移動したことは知られた話である。
 
【撮影日:13.10.02./掲載日:16.07.23.】
 上項の写真の元・レールパークの建物の一階左部分を見ると、国鉄時代に飯田線で活躍した車輛の絵?写真?が掲額されている。左からモハ52、ED11、ED18、クハ18-10番台だろうか。旧型国電形式はあまり自信がない。
 
【撮影日:13.10.02./掲載日:16.07.23.】
 534M[普通]中部天竜始発の豊橋ゆき。構内踏切と島式ホームの屋根のある部分とはちょっと距離が離れている。電車は構内踏切側に寄せて止まっているので、せっかくのホームの屋根も2輛編成の最後尾の扉部分にしかかかっていない。駅舎に近い方に停車した方がよいのか、ホームの屋根のある方に停車した方がいいのか、ちょっと悩ましいところではある。
 そういえばこの列車の乗務員さんたちは、発車までの間しばらく喋っていて、その途中の会話がちょっと聞こえてきたのだが、その内容が、こないだのダイヤ改正で○○駅の標準停車時間が何秒延びた、というような内容だった(…数字や駅名は忘れてしまった)。駅の利用状況に応じてダイヤを創っていく、ダイヤグラムは生き物なんだなぁ、と思う。

 ◆写真の列車情報◆ 海カキ 313系3000番台 R109編成 クモハ313-3021(+クハ312-3021) 1137発 534M[普通]中部天竜→豊橋
 
【撮影日:13.10.02./掲載日:16.07.23.】
 遠鉄バス北遠本線の系統である佐久間線の廃止に伴い運行を開始した、西渡(にしど)-中部天竜駅間の水窪タクシーによる代替バス「ふれあいバス」。誕生して2日目の姿である。
 もともとこの路線バスは、国鉄が計画した佐久間線(遠江二俣[現・天竜二俣]-中部天竜)の残滓である。佐久間線は遠江二俣-遠江横山 間は着工されたが、未成線に終わっている。もしこの路線が計画通り開通していたら、今は浜松市内となっている飯田線の各駅から他市町村を経由せずに浜松中心部に鉄道で移動できたことになる。
 ちなみに飯田線沿線周辺では、長野県飯田市-愛知県新城市-静岡県浜松市北区を結ぶ、三遠南信自動車道という高規格幹線道路という高速道路のようなものの建設が、壮大な税金を投入して進められている…。
 
 

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