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池上電気鉄道 新奥沢線
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新奥沢 Shin-Okusawa
 ◆2017年8月訪問時
【撮影日:17.08.17./掲載日:17.11.01.】
 池上電気鉄道は、池上本門寺への参詣輸送を目的とした鉄道会社であった。細かな説明は他のネットの情報に譲るが、最終的には後発の目黒蒲田電鉄(現 東京急行電鉄)との競争に敗れ、池上電気鉄道(池上線・新奥沢線)は買収され、新奥沢線は買収後すぐに不採算路線として1935(昭10)年に廃止されてしまう。新奥沢線としての営業はたった7年間であった。
 新奥沢線は池上電気鉄道の窮余の一策として中央線の国分寺延伸を目指して建設されたものだが、目黒蒲田電鉄の妨害(?)などもあって起死回生の一打とはならなかった。もしこれが目論見の通り国分寺まで路線を開通させていたら、どのような人の流動が生まれていたのだろうか。
 ネットなどでは石碑の写真を正面から撮った写真が多く掲載されているが、ここではあえて斜めに、「世田谷区東玉川二丁目40」の住所標記のプレートともに写した写真を掲載する。正面には「新奥沢駅跡」の文字が大書きされていて、石碑の左面には、上に小さく四角に囲まれた「新奥沢駅跡」の文字と、下に「世田谷区 玉川地団協」の文字が入る。右面には文字はなく、裏側については確認できなかった。それにしても彫られた文字が朱で色がつけられていることにはちょっとびっくりした。というのも、私は石碑の存在は知っていたのだが、白黒の写真でしか見たことがなかったのだ。
 
【撮影日:17.08.17./掲載日:17.11.01.】
 元の駅前付近を撮る。上項の石碑は写真の駐車場の右隅に見える(
画像の上にポインタを移動すると、上項の写真の石碑の位置を図形の囲みで表示します)。駅舎は右手に見える白い建物の場所にあり、雪が谷方面の線路は右奥の方向へ延びていたという。
 当地への訪問は、田園調布駅から徒歩で赴いた。坂のアップダウンはあるが、所要時間的にもそれほどかからない。
 
 
 

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