東急電鉄 東横線・目黒線 | |
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田園調布 | Den-en-Chōfu |
◆2017年8月訪問時 | |
【購入日:17.08.17./掲載日:17.09.18.】 |
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【撮影日:17.08.17./掲載日:17.09.18.】 駅舎は瀟洒とした落ち着いた雰囲気であるが、ちょっと見方を変えるとどこかのテーマパークにありそうな建物のようにも見える。周囲に外から駅と判るような標示物は見当たらない。 |
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【撮影日:17.08.17./掲載日:17.09.18.】 駅の西側に旧駅舎が復元保存されている。田園都市の玄関口として長いこと使用された旧駅舎は、中世ヨーロッパの民家を模しているという。この建物には駅としての機能はないが、駅に繋がるエレベータが設置されている。 この写真を写している立ち位置の180度反対側に「田園調布の由来」という碑が建てられており、その名前の由来などが書かれている。地名の成立は、大正初期に当時の大事業家であり東急電鉄との関わりも深い渋沢栄一が田園都市(住宅と公園を一体の地域として開発していくという、当時の欧米で多く施工された住宅団地のようなもの)を荏原郡調布村で開発することに始まる。後に目黒蒲田電鉄が当地に調布駅を開業させ、数年後に田園調布駅に改名したことが「田園調布」の最初とされる。後に荏原郡域が東京市に編入される際に、町名が駅名に揃える形で改名されることになる。そう聞けば"田園調布"もなるほど納得の地名である。 しかしそれを知らずに地名を考察していくととんでもないことになる。"調布"という地名は、律令制の時代に当時の租税制度である租庸調の"調"で布を税として納めていた地域を表しているという。"調"についてはその地域の特産物(但し朝廷などが定めた品目に限る)を"納めることも可能だったが、多くは布を納めることが一般的だったようだ。このことから調布という言葉には特産物がなかった場所と捉えることができてしまう。そして"田園"という言葉は、欧米の田園都市開発のことを知らなければ、単に農村や田舎という意味になってしまう。つまりこれを合成した「田園調布」という地名は、これといった特産物もない田舎、という意味に解釈することもできる。でも何もないところだったからこそ、このような美し住宅地が形成することができたのではないだろうか…とフォローしておこう(笑)。 でも調布という地名は、歴史的な理由から全国的に散在していてもおかしくなさそうなのだが、逆に当時は一般的すぎて地名にならなかったとか、租庸調の制度以前からの地名が使われ続けたとか、実は調布だったけどその後の歴史で地名から消えていった、とかも考えられなくもない。とはいえ、不思議なのは東京の荏原郡と北多摩郡(の現・調布市)という接近した場所にだけ地名が残ったのだろうか? |
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