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京浜急行電鉄 本線
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浦 賀 Uraga
 
【購入日:18.05.03./掲載日:19.02.12.】

 
【撮影日:18.05.03./掲載日:19.02.12.】
 
 
【撮影日:18.05.03./掲載日:19.02.12.】
 京急式の駅名標の他に、木板で造られた駅名標が設置されていた。駅名標の左上に焼き印のようなものが入れられてられているが、ここには「湘南電気鉄道 88th ANNIVERSARY」の文字と湘南電気鉄道の車紋が入っている。湘南電気鉄道が最初の黄金町-浦賀・湘南逗子(後の京浜逗子→逗子海岸と合併し新逗子となり廃止)間を開業したのは1930(昭5)年のことであるから、訪問年に設置されたものということになる。
 
【撮影日:18.05.03./掲載日:19.02.12.】
 当駅は京急本線の終点。しかし元から終点を目的として設置されたわけではなく、ここより延長して久里浜、三浦方面を当初は目指していたという。しかしそうならなかったのは、戦時中に軍部より急いで久里浜延長をするよう要望が出されたことが原因だという。京急も軍の要請後浦賀からの延伸を画策したらしいが、三浦半島特有の丘陵地が海岸線近くまで迫り出した地形ゆえにトンネル工事が多くなり、戦時中ということもあって工費を抑えるためだったということもあると思うが、やむを得ず現在までに続く堀ノ内から分岐した久里浜線の建設になったという。もし当初思い描いたように当駅から久里浜方面に延伸されていたら、この風景もかなり違ったものになっていただろう。
 しかし構想だったとはいえ、久里浜方面への延伸をあらかじめ考えていたのであれば、最初から浦賀を通さず建設すれば工費が抑えられたとも考えることができる。でも明治から造船の街として栄えていた浦賀をルートから外すことできなかったのであろう。
 一方で、現在は写真ように行き止まっている線路だが、かつてはこの道路を渡った先まで線路が延びており、折り返しなどに使われていた。線路がここを渡っている様子は国土地理院の空撮アーカイブでも確認できる。また撮影日現在で駅の駅の下にあるバスロータリーだが、かつては写真左の坂を上がっていった、現在京急ストアが建てられている場所にあった。また先に伸びていた線路があった築堤?は、今では切り崩されて駐輪場となっているが、築堤の法面が一部がなぜか残されているほか、駐輪場の先にある住宅地の中にも石積みが残されている。
 
【撮影日:18.05.03./掲載日:19.02.12.】
 改札口周りの様子。券売機下の青のラインが、券売機の位置を表すデザインとして効果的に使用されている。
 
【撮影日:18.05.03./掲載日:19.02.12.】
 当駅は頭端式の島式ホーム1面2線となっている。
 かつては写真右側に対向式、左側に島式のホームの、計3線のホームがあった。島式の外側のホームは他の2線より有効編成長が短かった。そしてその他2線の線路は現在の駅舎位置を突き抜けて前述の折り返し線に繋がっていた。現在のような姿になったのは、1977(昭52)年12月より以前のことである。これらの様子も国土地理院の空撮アーカイブで確認できる。
 
【撮影日:18.05.03./掲載日:19.02.12.】
 写真は2番線ホームに設置されている油圧式の車止め。写真では見えづらいが、側面に水色地の上に黄色い文字で「KEIKYU」の文字が入る。
 
【撮影日:18.05.03./掲載日:19.02.12.】
 1番線の線路の片隅には55.5kmのビンゴなキロポストが建植されている。にしてもなぜか同じ表示が2種類ある。右のキロポストは写真で見ると角棒から切り出した従来型のように見えるが、2枚の板の中央に垂直な板を1枚貼り合わせたH形の立体物になっている。
 ちなみに品川起点の営業キロも55.5kmなので、本線については実キロと営業キロで差が無いことになる。
 
【撮影日:18.05.03./掲載日:19.02.12.】
 ホームの品川側末端から品川方向を見る。ホームを出た先は若干カーブしており、両渡りのポイントはその先に設置されている。
 
【撮影日:18.05.03./掲載日:19.02.12.】
 線路はこの先行き止まり。そのため下りの到着列車は静々とホームに入線している。行き先は既に変換済みだ。
 
 ◆写真の列車情報◆ 1000形(12次車) 1325編成[6輛編成:写真先頭は1325] 1402着 1126[普通]品川→浦賀<折返>1408発 1427[普通]浦賀→品川
 
 

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