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京浜急行電鉄 久里浜線
三浦海岸 【次の掲載駅】     ||
三崎口 Misaki-Guchi
 
【購入日:18.05.03./掲載日:19.03.19.】

 
【撮影日:18.05.03./掲載日:19.03.19.】
 当駅は三浦市の中心部である(南側の)三崎地域への最寄り駅として開業されたが、現在をもってしても市の代表駅は北側にある三浦海岸駅となっている。三浦市は1955(昭30)年に三崎町、南下浦町、初声(はっせ)村が合併して誕生した。合併後に南下浦地域に三浦海岸駅、初声地域に三崎口駅が開業しているが、3地域のうちで最も人口が多いが三崎地域に駅がないというのも、半島先端にあるなど地形的なハンデがあるとはいえ皮肉的である。
 
 
【撮影日:18.05.03./掲載日:19.03.19.】
 2011(平23)年に改築されたという駅舎。綺麗な印象はあるが、これといった特徴もある感じではない。当駅は京急の駅の中で最南端にあることは判りやすいが、最も標高が高い場所にある駅というのは意外に盲点である。そうとはいっても標高は32mしかない。
 当駅は1975(昭50)年4月に開業した。当初から恒久的な終端駅として開業したわけではなく、当初の計画である油壺までの延伸が難しくなった事情などもあり、暫定的な終端駅として作られた経緯がある。開業した当初、整備された国道134号が通ってはいたものの、周辺は山林か田畑のみが広がるような場所であったようだ。当駅から三浦市の中心地である三崎町の中心部(三浦市役所付近)までは4km程離れている。そのため駅前のバス転回所は広く、また多くの路線バスが設定されている。
 
【撮影日:18.05.03./掲載日:19.03.19.】
 駅舎に掲げられている駅名表示は、「口」の字だけ赤くなり、その上に「マグ」と添え字が書かれている。漢字表記の下に書かれている振り仮名でも判るように、これで”三崎マグロ駅”と読ませている。そして左にはマグロの絵が描かれている。三崎のマグロといえば名が知られた当地の水揚げ品である。このユニークな駅名を掲げ始めたのは2017(平29)年の秋からとのこと。勿論正式な駅名は「三崎口」である。
 
【撮影日:18.05.03./掲載日:19.03.19.】
 1番ホームの品川より品川方向を見る。三浦海岸-三崎口 間は単線となっているが、用地としては複線分が確保されているという。
 
【撮影日:18.05.03./掲載日:19.03.19.】
 1番線の終端側から停車する2本の列車を見る。線路の間にもゴミ箱、バケツ、ブラシが置かれているが、折り返しの間合いの時間に窓などを洗えるようにしているのだろう。ブラシのおくところについてはフックが用意されているのが判るが、このブラシの置き方では間違って線路に転がり落ちてしまいそうだ。でもこちらは末端側なので列車が入ってこないからいいのかなぁ…。
 
 ◆写真の列車情報◆ (左)2100形(1次車) 2109編成[8輛編成:写真先頭は2109] 1104着 912A[快特]泉岳寺→三崎口<折返>1117発 1113A[快特]三崎口→泉岳寺
              (右)1000形(8次車) 1097編成[8輛編成:写真先頭は1097] 1114着 1076SH[快特]京急久里浜→三崎口<折返>1127発 1177SH[快特]三崎口→青砥
 
【撮影日:18.05.03./掲載日:19.03.19.】
 上項とは変わって、1番線の品川側から2本の列車を見る。奥側の番線に停車している2100形の編成は上項の写真から入れ替わっている。こちら側の線路の間にもゴミ箱、バケツ、ブラシが置かれている。
 
 ◆写真の列車情報◆ (左)1000形(8次車) 1097編成[8輛編成:写真先頭は1104] 1114着 1076SH[快特]京急久里浜→三崎口<折返>1127発 1177SH[快特]三崎口→青砥
              (右)2100形(4次車) 1065編成[8輛編成:写真先頭は1072] 1124着 1014A[快特]泉岳寺→三崎口<折返>1137発 1115A[快特]三崎口→泉岳寺
 
【撮影日:18.05.03./掲載日:19.03.19.】
 1番ホームの終端側から、未成に終わった油壺方向を見る。ホームのちょっと先に線路上には線路に固定するタイプの車止めが設置され、架線には架線終端の標識が下がっている。ただここの場合は給電する関係で架線がさらに先へ延びていることから、パンタグラフが触れられる架線がここまでという意味合いで使われているのだろう。路盤は架道橋のような短いトンネルの先からも続いているが、その距離はあまり長くないという。奥に見える門中型の架線柱の右方向には久里浜線に電気を供給している変電所がある。
 かつてはこの先、油壺(小網代湾の奥のあたり)を経由して、半島先端にある三崎港のまで路線を延伸する計画があった。ただし1970(昭45)年に油壺ー三崎港 間の事業免許を失効し、2005(平17)年に三崎口-油壺 間の事業免許も廃止した。とはいえその後も油壺延伸への望みを捨てていなかったというが、それも2016(平28)年になって白紙状態になったという。
 もし路線の延伸が実現した場合、新駅の方が三崎町域の中心に近くなることから、三崎港延伸なら勿論のこと、油壺延伸でも「三崎口」という駅名は改称されただろうと想像する。もし改称するなら当地の地名である”初声(はっせ)”とかになるのかなぁ…。
 
   
 
【撮影日:83.--.--./掲載日:19.03.19.】
 1983(昭58)年の春に、私がまだ中学生だったころに友人と京急2000形の乗車と写真撮影のために赴いたときの写真。この当時、2000形は前年末にデビューばかりで、8輛編成1本しか在籍していなかった。このときは友人がどうしても2000形に乗車したいと言ったために、品川駅で2時間待った思い出がある。そうやって乗車してやって来た三崎口で、撮影したのがこの一枚である(2番ホームの終端側から撮影)。1000形と2000形とで車体サイズはそれほど変わらないと思うのだが、2000形の顔立ちはすごく大きく見える。
 掲載日現在では双方の形式とも既に過去帳入りしている。また、この当時の駅のホームは終端側に上屋が掛けられていないことが、上項の写真と比較して判る。

 ◆写真の列車情報◆ (左)2000形 2001編成[8輛編成:写真先頭は2001] 〈9A運用〉[快速特急]品川→三崎口<折返>[回送]三崎口→京浜久里浜(現・京急久里浜)
              (右)1000形 1149編成[8輛編成:写真先頭は1149] 〈65H運用〉 [特急]???→三崎口<折返>[特急]三崎口→京成高砂
              ※列車番号、時刻は不明
   
 

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