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ひたちなか海浜鉄道 湊線
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那珂湊 Naka-Minato
 ◆2004年10月 訪問時<茨城交通 当時>
【購入日:04.10.10./掲載日:19.10.26.】
 微妙に惜しいような発券場号「3666」。
 
【撮影日:04.10.10./掲載日:19.10.26.】
 駅舎は屋根に年齢を感じてしまうが、主要駅であることもあってか手入れは行き届いているように見える。
 駅舎の左に"お弁当"の文字がうっすらと浮かんでいる建物が見えるが、掲載日現在この建物は茨城交通の那珂湊営業所が入居している。もともと駅舎が茨城交通だったものだったのに、今では脇の建屋を借りて営業しているというのは、時の流れというのは時に不思議な巡り合わせを創るものである。
 
【撮影日:04.10.10./掲載日:19.10.26.】
 駅に到着するキハ205上りの勝田ゆき。
 那珂湊駅でこの塗色の気動車というと、2006(平18)年に映画公開された「フラガール」のことを思い出す。しかし実際に「フラガール」に登場している車輛は、旧国鉄一般気動車色をまとった、側面がバス窓配置のキハ112である。
 
 ◆1984年7月 那珂湊機関区 訪問<中学のクラブ活動>
【撮影日:84.07.21./掲載日:19.10.26.】
 1984(昭59)年の夏に、中学のクラブ活動として那珂湊機関区を訪問した。行路は、西武新宿線から、当時まだ非電化でステンレス試作だけどタラコ色塗装のキハ30 900番台が走っていた川越線、交直流近郊色から白に青帯の常磐線カラーに塗り替えが始まった頃の水戸線を乗り継いだ。そうやってきた那珂湊であったが、カメラ撮影の腕も無い上に、フィルムも24枚撮り1本という制限があったために、あまり良好な写真が残せなかったのが今でも残念に思うところではある。しかもお世辞にも写真の保存がいい状態とは言えない。ここではその中で比較的マシな写真を掲載する。
 写真は当時の那珂湊機関区、那珂湊駅の勝田側の構内の様子。一番左が、左側窓が板が張られて留置された小豆色に白帯の車輛が、これでもまだ除籍される前の、留萌鉄道からやってきたキハ1001(1986(昭61)年2月廃車)。その右となりが同形のキハ1002(1989(平1)年3月廃車)で、その後ろに日本初のステンレス気動車ケハ601(1992(平4)年5月廃車)が連結されている。中央やや右が国鉄からやってきたキハ11形(キハ111~113のいずれか・2004(平16)年全廃)。車庫から顔をのぞかせている一番右の車輛は、やはり留萌鉄道からやってきたキハ2000形(キハ2004・2005のいずれか・2015(平27)年全廃)。
 
【撮影日:84.07.21./掲載日:19.10.26.】
 上項の写真を撮影する前には、2輛のキハ1000形の間に、羽幌炭礦鉄道からやってきた旋回窓が特徴的なキハ22形(キハ221~223のいずれか・2015(平27)年全廃)が停車していた。それにしても左の除籍されていないキハ1001の状態は見た目もあまり良くなかったが、驚くことにキハ1001のエンジンは除籍後にキハ1002で使用したそうだ。
 
【撮影日:84.07.21./掲載日:19.10.26.】
 庫内に停車中だった元留萌鉄道のキハ1103に、[急行]あじがうら のヘッドマークを機関区のご好意で取り付けていただいたところを撮影したもの。キハ1103は実際の運用でも、国鉄のキハ58系で組成された編成の前に連結され、このヘッドマークを掲げて走行したことがあるようだ。
 
【撮影日:84.07.21./掲載日:19.10.26.】
 キハ1103が停車していた車庫内に、1971(昭46)年2月に茨城線の廃止の時に使用されたヘッドマークが保存されていた。茨城線は常磐線の赤塚から北東側に分岐していた路線で、最盛期には25kmあまり先にある御前山を結んでいた。その後路線が徐々に縮小していき、廃止時は茨城大学近くにあった大学前までの4.3kmの路線となっていた。ヘッドマークのデザインにはご当地らしく梅があしらわれていた。上に「茨鉄線廃止」と書いているが、"茨鉄"は茨城交通に戦時統合される前に茨城線を経営していた「茨城鉄道」のことで、もしかしたら茨城線という正式名称よりも親しまれていた愛称なのかもしれない。下には「鉄道友の会」の銘が入っており、ヘッドマークは同会によって作成されたもののようだ。
 
 

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