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ひたちなか海浜鉄道 湊線
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阿字ヶ浦 Ajigaura
 ◆2004年10月 訪問時<茨城交通 当時>
【購入日:04.10.10./掲載日:19.10.22.】
 きっぷの入鋏省略の表示が、"省略"の文字の周りを改札鋏の鋏痕でデザインされているのが面白い。
 
【撮影日:04.10.10./掲載日:19.10.22.】
 掲載日の数年前から、湊線をこの先ひたち海浜公園方面に延伸しようという話が出ている。確かに延伸できれば観光輸送に期待ができるところではあるが、やはりコストのことがあるのだろうか、次への話がなかなか出てこない。この駅名標の隣駅が空欄となっている場所に駅名が書き加えられる日はいつ来るのだろうか。…結構期待しているんだけどなぁ。ただ現在はこの駅名標は無いようで、投稿日現在は独自のデザインを施した駅名標に変わっている。
 
【撮影日:04.10.10./掲載日:19.10.22.】
 当駅の駅舎はもしかしたら開業当初のものなのかなー、という感じであるが、これはあくまで個人的な感覚。駅舎の大きさの割に駅名標示がやけに大きい気がするが、これはこれで愛嬌があっていい。
 明治期に湊線が計画された当初、阿字ヶ浦までの鉄道計画は無かった。それが昭和に入って一転して路線が延伸開業する(1928(昭3)年)。これは後に阿字ヶ浦海水浴場と名前が変わることになる"前浜"に1925(大14)年から海水浴場が開設されたことによる影響で、この開設には当時の湊鉄道も一枚噛んでいる。まさに当駅は海水浴場とともに歴史を歩んでいる駅といえる。ただ本来の阿字ヶ浦は、2駅隣のの平磯付近の砂浜や岩礁のある海岸を指していたそうだ。ちなみに2011(平23)年の東日本大震災の際、阿字ヶ浦海水浴場の津波被害は全く無かったそうだ。
 
【撮影日:04.10.10./掲載日:19.10.22.】
 ホーム側から駅舎を見たところ。
 ホームは7輛編成が停車できるくらい長く作られている。これは夏期に国鉄から海水浴のための臨時列車が乗り入れたことへの対策であった。ここに限った話では無いが、かつては夏の海水浴臨は各地に設定されていた。湊線でも上野からの[急行]あじがうら が設定されていたが、1990(平2)年を最後に直通の設置が無くなってしまったという。掲載日現在では長くても3輛編成が発着するということで、ホームももてあまし気味となっている。
 ちなみに1981(昭56)年夏期の[急行]あじがうら のダイヤ設定は以下のようだった(編成は不明、列車は単独運行)。所要時間が常磐線内だけでも約2時間も要し、いかにも国鉄の臨時列車という感じだ。ただ途中で[特急]に抜かされるという設定では無かった。
   【下り】上野(9411D)735→???勝田(9621D)936→1008阿字ヶ浦 【上り】阿字ヶ浦(9624D)1646→1718勝田(9416D)1726→1935上野
   途中停車駅(上下とも):我孫子・土浦・石岡・友部・水戸・勝田、湊線内は各駅停車
 
【撮影日:04.10.10./掲載日:19.10.22.】
 車籍を抹消後に海水浴客用の臨時更衣室として阿字ヶ浦駅に留置されていた車輛、その1:キハ201。
 当車のキハ20形は、元を辿ると国鉄キハ20形である。キハ20のうちの4輛が1985(昭60)年3月に大洗鹿島線が開業するに際して鹿島臨海鉄道が購入し、頭部のヘッドライドが撤去し、新たに窓下に角形のライトを設置し、キハ2000形として運用を開始した。しかし非冷房車であったことが徒となって徐々に運用から外されてしまうことになる。茨城交通ではその4輛を購入し、2002(平14)年と2003(平15)年に各1輛、2004(平16)年に2輛を竣工させ、新たにキハ20形となった。ちなみに車輛変遷は、(順に)国鉄キハ20 421[1961年 三次]・274[1960年 岩国>広島]・429[1961年 広島>三次]・243[1959年 七尾>岩国>広島]→鹿島臨海キハ2002・2003・2001・2004→茨交キハ201・202・203・204となっている。
 写真のキハ201は1999(平11)年に廃車となり、その後当駅にやってきた。しかし2009(平21)年に解体されている。他のキハ20形は長期に渡って那珂湊駅構内に留置された後、2006年までに除籍されている。キハ203だけは保存車輛として掲載日現在も残されているが、他は解体されている。
 
【撮影日:04.10.10./掲載日:19.10.22.】
 車籍を抹消後に海水浴客用の臨時更衣室として阿字ヶ浦駅に留置されていた車輛、その2:キハ221。
 この車輛は羽幌炭礦鉄道の元キハ22形(1966(昭41)年製造)で、形式、車番をそのままに1971(昭46)年に3輛全てが茨交入りしている。道産子らしく運転席側の窓に旋回窓が残されていたのが外観上の特徴であった。写真のキハ221は1998(平10)年に廃止となり、上項のキハ201とともにその後更衣室となって阿字ヶ浦駅に留め置かれた。しかし2009(平21)年にキハ201とともに解体された。同僚のキハ223は2009年に廃車となり、現在はさいたま市緑区内の眼科病院で保存されている。またキハ222はなんだかんだで2015(平27)年まで使用されたの後に運用を離脱した。
 
【撮影日:04.10.10./掲載日:19.10.22.】
 キハ221の側面に「羽幌炭礦鉄道」の文字と社紋が残る。ただこれを"残る"と言うのは正しくない。というのも茨城交通入線後に湊線で使用されていたときは当然これらの表記は消されていたためである。ということは、除籍後に新たに書き加えられたということになるが、いっぱしの保存車輛としてならともかく、更衣室代用の車輛にわざわざ記入された理由が見えてこない。でも、まあ、その、「鉄」的には面白い(笑)。表記については炭礦の"礦"の字が略字の"砿"の字が使われているのは興味深い。羽幌炭礦鉄道時代も略字が使われていたようなので、これはこれで復元されているということになる。…単純に"礦"の文字が込みいった字画で書きにくかったのだろうか。
 
【撮影日:04.10.10./掲載日:19.10.22.】
 2番線ホームに停車中のキハ37100-03。
 車輛の左側にコンクリートの建造物がある。集める情報からは給水塔の跡だという話が圧倒的である。確かに姿、形からそのようなものだろうと私も思うのだが…、だが、これって本当にそうなのかなーという疑念がないわけでもない。湊線の歴史は個人的には調べ切れていないのだが、かつて元国鉄 B600形という蒸気機関車が4輛在籍(1930年代~1966年)していたそうだ。ただ戦中に11m級の気動車を導入していたり、戦後からはディーゼル機関車(ケキ100形)の導入が始まっており、SLの活躍は戦後についていえばかなり限定的だった可能性がある。ということを思うと、この給水塔の台と思われるものが思いの外新しく見えるのである。記念碑的に手入れがされているということも考えられるが、実際にはどうなんでしょうねえ…。
 
 

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