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東日本旅客鉄道 東北本線
岩手飯岡 【次の掲載駅】 盛岡  
仙北町 Sembokuchō
 ◆2016年3月訪問時
【購入日:16.03.21./掲載日:16.05.14.】
 
 
【撮影日:16.03.21./掲載日:16.05.14.】
 仙北町駅は、住所でいうと盛岡市仙北2丁目にある。仙北駅周辺の地図を見ると、「仙北」「東仙北」「南仙北」「西仙北」という地名が見えるが、この感じだと新しく整理された上で命名された地名のようである。しかし雫石川の河畔に「仙北町佐兵衛新田」という、整理から取り残された地名が見える。仙北町の地名でここだけがおそらく昔から変わらない地名なのだろうと思う。
 話が変わるが、仙北町という地名についてだが、当駅は岩手県にあるのだが、秋田県には仙北郡があり、どこか紛らわしく感じていた。でもちょっと調べてみたら、この仙北町駅の周辺には秋田県仙北郡からの移住者が多く、地名もそれに由来しているということが判り、ちょっと納得してしまった。
 
【撮影日:16.03.21./掲載日:16.05.14.】
 東北本線は北上川の右岸に線路が敷設されている。それは盛岡駅の付近でも同じである。
 元来の盛岡の城下町は北上川の左岸にある。鉄道建設に当たっては、歴史的な背景や、鉄道用地の問題、土木技術の問題など想像される点はいくつか思いつくが、事実として当時の街の中心部に通すことはできなかった。また盛岡の中心部には北上川に東西から流れ込む川が2本あり(西から雫石川、東からは中津川)、地理的にも創成期の鉄道の建設を悩ませていたのではないかと想像される。
 計画時の盛岡駅については、雫石川の北側の現在駅の場所の他に、現在の仙北町駅がある場所も候補として上がっていたという話があったとかなかったとか。どちらに建設しても城下町方面には北上川を渡らなければならなかったことには変わりない。
 また1915(大4)年開業の仙北町駅は、当時の国鉄の平均的な駅間距離に比べて盛岡駅から2km以下という、ちょっと例外的に短い距離に駅が建設されている。政治的に造られた駅とする説もあるようだが、盛岡駅との間には雫石川が流れているということもあるので、渡河を目的とした開設との見方もできる。
 街の中心部に鉄道は通せなかったとは書いたが、見方を変えれば人口の少なかった地域に鉄道を通したことで、新たに街を開発できるということも意味している。現在の盛岡の街は鉄道を中心として創られていったのではないだろうか。仙北町駅もその役割は小さくないのではなかろうか。
 
【撮影日:16.03.21./掲載日:16.05.14.】
 駅舎の中の様子。狭いながらも窓口もあり、待合のベンチもある。狭くても駅員いる駅はどこか暖かさを感じる。
 
【撮影日:16.03.21./掲載日:16.05.14.】
 跨線橋から北に聳える岩手山を臨む。
 
【撮影日:16.03.21./掲載日:16.05.14.】
 今では短編成のローカルの電車しか発着しなくなってしまった同駅であるが、かつては[急行]も停車していた。訪問時現在、朝の下り[快速]アルテイが停車するのは、その名残のようにも見える。
 
【撮影日:16.03.21./掲載日:16.05.14.
 駅に到着する盛岡カラーの701系。701系は東北の電化ローカル線ではすっかりおなじみの車輛となってしまった。デビュー当時は短編成のロングシート仕様の電車が走り回ることに違和感を憶えたものだが、今となっては至って普通で、馴染んでしまった感さえある。

 ◆写真の列車情報◆ 701系1000番台 盛モリ [2輛編成:車輛番号不明] 1007発 1534M[普通]盛岡→一ノ関
 
 
 

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