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福島臨海鉄道 本線・小名浜埠頭本線
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宮 下  Miyashita
  2015年1月:駅廃止直後
【撮影日:15.01.12./掲載日:15.01.18.】
 旧・宮下駅の駅舎。この駅舎が見られるのはいつまでのことであろうか。
【撮影日:15.01.12./掲載日:15.01.12.】
 旧・宮下駅西側の
「宮下踏切」から旧駅の構内を見たところ。「旧駅」という書き方をしてはいるものの、この時は列車の運転を全て止めて、切り替え工事をしていたので、「旧駅」という書き方が正しいのかどうかはよく判らない。書類上の届けとかは別にして、現在進行形で旧駅化しているという方が正しいかもしれない。
 かつて構内にあった側線やポイントは消えたり、本線部分から切り離されている。右側の線路は本線部分で、左側の線路は東邦亜鉛の工場への専用線である。これまで東邦亜鉛の専用線は宮下駅から分岐していたが、新・小名浜駅が宮下駅側に移転したことにより、専用線も新・小名浜駅からの分岐と変わった。そのためこの辺りで風景を見ていると、非電化の複線がずぅーっと延びているように見える。といっても、説明したとおりこれは複線ではなく、単線並列といった方が正確な表現かも知れない。
 非電化複線というふうに見た場合だが、現代の日本でもあまり多くの場所で見られる形態ではないので、ある意味貴重な新風景が誕生したのかも知れない。
 写真の左側の青い屋根の建物の前に工事の方々が沢山集まっているのが見える。線路際にあるキュービック(配電盤などが入っているボックス)がことごとぐ開いていた。特に今回は、腕木式信号機から自動信号機への切り替えという安全にも関わる大工事があるので、大変そうだ。
 
【撮影日:15.01.12./掲載日:15.01.12.】
 9ヶ月前に同じ場所の写真を撮っているが、比べると構内配線が一変していることが一目瞭然である。この写真を撮るちょっと前に、線路の上をショベルカー軌陸車が線路を走行しており、切り替え工事の真っ最中なんだなと感じることができた。
 
【撮影日:15.01.12./掲載日:15.01.12.】
 9ヶ月前に撮影した腕木信号機だが、この日は信号機の腕に×印が貼られていた。
 無粋である。まるでテレビ番組で、問題に誤答した回答者のような扱いである。
 
【撮影日:15.01.12./掲載日:15.01.12.】
 宮下駅からは、かつて小名浜埠頭本線(2001年廃止)が南側へ分岐していた。その線路用地には、今回の工事関連で発生した、路盤から剥がされた枕木や資材などが置かれていた。
 
  2014年4月
【撮影日:14.04.27./掲載日:15.01.12.】
 宮下駅の駅舎。かつては旅客も取り扱っていた駅だったが、入口にはめられたサッシのせいか旅客駅の駅舎という雰囲気はあまり感じられない。
 私がこの写真を撮ったときには、小名浜駅移転に伴う工事のために宮下駅が廃止されるということを知らなかった。
 
【撮影日:14.04.27./掲載日:15.01.12.】
 宮下駅の駅構内の様子。この当時の宮下駅は、小名浜駅のようにコンテナ等の荷扱いはしておらず、当駅から分岐していた東邦亜鉛の専用貨物列車の入れ替えだけをする場所となっていた。つまり、一日一往復の通称「安中貨物」のためだけに存在しているような駅だった。
 かつては小名浜埠頭本線が(写真右手へ)分岐しており、臨海エリアにある工場の荷扱いも盛んに行われていた。しかし、21世紀になるとコンテナ貨物と東邦亜鉛専用貨物だけの現在状態になってしまった。

 写真からもいくつかの側線があることが判るが、ここが貨車でいっぱいになることはもうない。
 
 【撮影日:14.04.27./掲載日:15.01.12.】
 腕木信号機を、線路沿いの宮下公園の八重桜と、ぱちり。この腕木信号機は、宮下駅の西側の「宮下踏切」そばの、東邦亜鉛の工場への専用引込線側に建植されているものである。この時には腕木信号機があと余命1年を切っていたことを知っていた。桜と組み合わせのチャンスはこの時が最期になるだろうと思って撮った一枚だ。

 
 

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