江名鉄道 | |
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江 名 | Ena |
●14年4月 | |
【撮影日:14.04.27./掲載日:18.04.19.】 かつての江名駅前の様子で、永崎・小名浜方面を見ている。道が曲がった先から平坦な土地となっており、そこからが駅構内だった場所になる。駅は江名漁港からは600mほど西側の谷間の場所に設けられていた。かつての磐城海岸軌道江名駅の場所もよりもひとつ山側に入ったところにあった。 戦前は路上に軌道を敷設していた磐城海岸軌道が常磐線・泉駅(泉-小名浜 間は東商会からの買収路線)との間を結んでいたが、小名浜-江名 間1930(昭5)年が廃止、江名からは一旦鉄道が消えることになる。1939年(昭14)10月に専用軌道となる小名浜臨港鉄道が泉-小名浜 間で開業するが、江名への延伸は行われなかった。 当初は小名浜臨港鉄道が江名延伸を計画していたが、戦中、戦後の諸事情から小名浜臨港鉄道とは資本関係の無い江名鉄道を設立することになり、支線の先に別の支線を継いだような風変わりな路線が1953(昭28)年1月に開業する。ただ路線建設を借金で賄われ財務力も弱かったことから、自社車輛も無く、開業直後から運行を小名浜臨港鉄道に委託していた。江名鉄道は、その後海岸線を北上し最終的に常磐線・平駅(現・いわき駅)の延伸を考えたこともあったようだか、そんな余力があるわけも無く、逆に間もなく社員数を大幅に削減したようだ。貨物輸送は通常どの程度あったか判らないが、ただサンマの漁期には積み残しが出るほど盛況で、東京だけでなく大阪方面にも出荷されていたという。旅客列車は当初10往復、後に12往復が設定されていたというが、基本的に通勤通学時間帯と夏の海水浴時期以外は空気輸送だったという。 年を経ても赤字は解消せず、江名鉄道廃止前には社長は空席で社員が数人しかおらず、小名浜臨港鉄道に頼り切っていたという。江名鉄道は1966(昭41)年の台風被害を含めて何度か小名浜臨港鉄道に支援を要請したこともあったようだが、基本的に断られ続けていたようだ。1967(昭42)年に私鉄の小名浜臨港鉄道は官民出資の福島臨海鉄道に改組されることになるが、個人的にはそのことも翌年の江名鉄道の廃止に間接的に繋がったのかもしれないと考える。 訪問日現在、写真右手には安竜(ありゅう)団地という、もともと山地だった場所を造成した南斜面の小規模な住宅団地がある。江名鉄道が運休していた頃の国土地理院の空撮アーカイブを見ると、安竜団地は造成中か土地分譲が始まったばかりのようで、結果的に残念ながら江名駅前の住宅団地ということにはならなかった。ただ訪問日現在も江名鉄道が存続して、安竜団地に現況の入居者数があったとしても、鉄道会社の収入の助けになったかは微妙である。 |
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