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国鉄 臼ノ浦線
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臼ノ浦 Usunoura
 ●2011年11月訪問時
【撮影日:11.11.03./掲載日:21.05.08.】
 駅があった場所には、ブルーバックの駅名標が立てられていた。この駅名標は2008(平20)年に何かの記念に作られたもののようだ。
 まあ一目見たときから違和感があったのだが、ブルーバックの駅名標は確かにほかの国鉄駅でも存在したものではあるが、掲示されていたのは軒下や壁面といったものが多く、このような門柱枠で掲示されていたものがあったというのは私の範疇では聞いたことがない。また表記に関して国鉄はかなり厳密に行っていたはずなので、当駅は片仮名の"ノ"が正式名称であって、平仮名の"の"というのはおかしい。ちなみに現住所の表記も「小佐々町臼ノ浦」と片仮名の"ノ"が使われている。
 ここで写真を撮っていたときに、たまたま地元の方と話すことができた。そのときにどこから来たのかと尋ねられて「福島から来た」と答えたら、(訪問半年前に発生した)東日本大震災や原発事故のことを心配していただいて、恐縮だった。でも地元の方からすると、佐賀県の玄海原発に近いということもあって他人事ではなかったようであった。
 
 
【撮影日:11.11.03./掲載日:21.05.08.】
 上の駅名標の写真から引いた位置で撮影。駅名標の隣に立つ表示板には「昭和46年12月25日 さようなら臼浦線 長崎県北松浦郡小佐々町」の文字とSL列車のイラストが入る。それにしてもこちらは線名の「臼ノ浦線」の"ノ"の字が抜けており、標記に何かと問題ありだ。
 駅名標の後ろには港町公民館が建っているが、建物に出入りするための階段が無駄に横に長い。もしかしたらこの階段は駅時代の階段ではないかと思ったら、(こちらから訊いたわけでもないのに)地元の方が駅の階段だと説明していただき、考えが一致した。これは国鉄時代の遺構ということで間違いないだろう。
 臼ノ浦線は1931(昭6)年に佐世保鉄道が開業させた、当時は佐々ー小浦 間にあった四ツ井樋から分岐する一支線であった。1936(昭11)年に国鉄に買収されているが、その際に臼ノ浦駅は300mほど海側に移転している。1944(昭19)年に762mmから1067mmへ改軌されたときに分岐駅は佐々駅に変更され、中間駅であった肥前黒石駅と大悲観駅を廃止、四ツ井樋駅は松浦線本線の駅から外されて支線の中間駅となった。翌1945(昭20)年になってこの支線に臼ノ浦線という名前が付与されるが、四ツ井樋駅は廃止されている。以来臼ノ浦線が廃止になる1971(昭46)年まで中間駅のない3.8kmの路線として存続することになる。末期は炭鉱の閉山に伴って、柚木線(1967(昭42)年に水害により廃止)や世知原線(1971(昭46)年廃止)とともに、レールバスと言われたキハ02形が数往復するだけの閑散路線となっていた。
 
 
【撮影日:11.11.03./掲載日:21.05.08.】
 西肥バスの「臼の浦」バス停。このバス停では住所表記とは違う表記となっている。これが復刻駅名標の「の」の字の誤表記の原因だろうか?
 このバス停から駅舎跡までは、バス停そばの丁字路の細い道を入って200mほど先と近い場所にある。しかし私はこのとき先に大悲観公園に寄ってから、歩いてで旧・臼ノ浦駅に向かったため、駅の先にあるリアス式の臼ノ浦湾まで行ってしまって迷子になってしまい、湾のそばにあったお店で道を訊いて旧駅に無事たどり着いたという顚末がある。でも、臼ノ浦湾の西側にはかつて炭鉱から運び出された石炭を船に積み替えるための貨物線が駅から伸びていたので、まあ迷子になりながらも廃線跡探訪ができたということにはなるのだが(笑)。とはいえ、その貨物線付近の写真を残しておかなかったのは失敗だった。
 ちなみにこのバス停の場所も、駅跡で出会った地元の方に教えていただいた。
 
 
 

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