松浦鉄道 西九州線 | |
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潜竜ヶ滝 | Senryu-ga-Taki |
●2011年11月訪問時 | |
【撮影日:11.11.03./掲載日:21.04.10.】 |
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【撮影日:11.11.03./掲載日:21.04.10.】 駅名標に入るイラストは、駅名にもなっている潜竜ヶ滝。 |
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【撮影日:11.11.03./掲載日:21.04.10.】 駅舎の様子、と書きたいところだが、これはホームと外を隔てる1枚の「壁」である。どうもこれは建築家による、今風にいえば"デザイナーズステーション"ということらしい。そういわれてみれば、この「壁」の左側は円柱をデザインとして取り入れられていたり、ホームの出入口の階段部の斜めに切られた壁、右側の自動販売機が置かれている壁のない部分など、特に必要と思えない要素が含まれている。 ちょうど訪問時は、駅前の植え込みにコスモスが咲き乱れていた。 |
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【撮影日:11.11.03./掲載日:21.04.10.】 この写真では少々わかりづらいが、1枚の壁のホーム側は庇がついており、その下には座るところが壁に一体となって作られており、いわば待合室代わりとなっている。 かつては炭鉱があったことから、石炭の積み出し駅として使われていた過去がある。駅構内は2面3線に中線もあったそうだが、写真の様子からはそんなものがあった気配すら感じない。国土地理院の地図空中写真閲覧サービスの空撮写真を見ても判然としないのだが、貨物側線はそれほど多くはなかったようだ。また写真の奥の方向には石炭を貨車に積み込むホッパーのようなものがあったようだ。 1962(昭37)年の夏に、近隣のボタ山が大雨によって土砂崩れを起こして駅舎もろとも構内が飲み込まれ、また付近の川も流路が断たれ洪水が発生したという災害が発生したそうだ。当駅の貨物営業終了は1968(昭43)年。 |
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【撮影日:11.11.03./掲載日:21.04.10.】 低いアングルから、佐世保へ向かって出発するMR-600形を撮影。 佐世保以北について、西九州線は1時間に1本の運転になるのだが、佐世保-たびと平戸口 間をほぼ並行して走る西肥バスもほぼ1時間に1本の運転となっている。それはいいのだが、訪問当時も掲載日現在も、特に平戸口方面のダイヤが似たような時間に運転されているのが気になってしまう。西肥バスも松浦鉄道に出資しているのだから、何も競合したダイヤでなくて少し時間をずらしてダイヤ設定した方がいいのではないかと思ってしまう。ちなみにこの系統の西肥バスの多くは"半急行"という種別で運転されている。鉄道的には区間急行のようなもので、佐世保中心地に近い側のバス停が一部通過となっていたり、バイパス道路を経由している。 ◆写真の列車情報◆ MR-600形 MR-618 325D 834発[普通]伊万里→佐世保 |
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【撮影日:11.11.03./掲載日:21.04.10.】 駅の伊万里寄りで、まもなく駅に到着するMR-400形を捉えた。スタイルはMR-100形に似ているが、車体長はMR-100・200・300形が16m級であるのに対し、MR-400形はMR-600形と同じ18級車となっている。1形式1車輛という異端的存在ではあるが、MR-600形の導入による淘汰車輛とはなっておらず、掲載日現在も活躍しているとのこと。 ◆写真の列車情報◆ MR-400形 MR-401 335D 1111発[普通]伊万里→佐世保 |
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【撮影日:11.11.03./掲載日:21.04.10.】 駅から北へ向かうこと約30分の場所に、駅の名前の由来になった潜竜ヶ滝がある。 滝にその名を与えたのは平戸藩藩主で、1829年のことと記録がしっかり残っている。お殿様には滝壺から竜が姿を現したように見えたことから、竜が潜む滝、ということになったそうだ。滝の落差は20mほど、滝壺の深さは6mほどあるそうだ。滝は2つに分かれて流れ落ちており、左が女滝、右が男滝とされているようだ。地理的には江迎川の上流部に当たり、川はここから南下した後、西九州線沿いに江迎方向に西進し、すえたちばな駅から見える江迎湾に注ぎ出ている。 滝を写真にしてしまうとそんなに大きくないように見えるのだが、実際を見ると、流れ落ちた水が下の岩場を叩く音と相俟って迫力を感じることができた。たしかこのときは、10分くらい黙ってずーっと滝を見ていた気がする。 ちなみに"潜竜"という名前は、駅を含めて施設名にはいくつか見ることができるが、住所の名前にはなっていない。 |
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●2011年11月訪問時 「福井川橋梁」 | |
【撮影日:11.11.03./掲載日:21.04.10.】 福井川橋梁吉井と松浦を結ぶ県道40号線を、松浦方向から吉井方向に見たところ。写真左が西九州線の佐世保側、右が伊万里側になる。橋梁は3連のアーチ橋となっており、橋脚に当たる部分の上部には透かし彫りのように3つの穴が開いている。この橋梁のスタイルは、同時期に建設された国鉄の旧・宮原線の幸野川橋梁とも類似してるそうだ。 世にも珍しい"竹筋"で作られたといわれる橋梁であるが、構造について調査が行われた際には残念ながら竹が使われていることが確認できなかったそうだ。 |
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【撮影日:11.11.03./掲載日:21.04.10.】 橋梁の橋脚部分に取り付けられていた「登録有形文化財」の文化庁のプレート。橋脚の、思ったより高い位置に取り付けられていた。 |
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【撮影日:11.11.03./掲載日:21.04.10.】 福井川橋梁を渡るMR-600形。橋には3連アーチの部分以外に、伊万里側に道を通すために切り取られたようなひと桁分の橋梁がある。 ◆写真の列車情報◆ MR-600形 MR-610 318D 918発[普通]佐世保→伊万里 |
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【撮影日:11.11.03./掲載日:21.04.10.】 MR-100形の2輛編成が橋梁を通過していく。そういえばこの旅で私が乗車した松浦鉄道の列車はすべて単行気動車であった。 橋梁の下を通る道路には、鉄骨で造られた覆いが造られている。橋梁の老朽化でコンクリートが剥がれ落ちてくる危険があるというわけではなく、最初は貨車から落ちてきた石炭に当たらないようにするためのものかとも思った。ただこの覆いの天井はメッシュ状になっており、メッシュより小さい石炭だったらやっぱり落ちてくる可能性があるわけで…、それよりも何よりも日本のあちこちにあった運炭路線の下を通る道路にそんなものを見たことがない。よってどのような理由で造られたものなのかがよくわからない。 ◆写真の列車情報◆ MR-100形 MR-109[左]+車番不明[右] 229D 938発[普通]たびら平戸口→佐世保 |
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