九州旅客鉄道 佐世保線 | |
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佐世保 | Sasebo |
●2011年11月訪問時 | |
【購入日:11.10.19./掲載日:21.01.08.】 松浦鉄道訪問のために、佐世保入りするためと、佐世保を発つときに使用した[特急みどり]の座席指定特急券を、使用前にあらかじめスキャニングしておいたもの。なので、双方とも入鋏処理のためのスタンプが押されていない状態になっている。 |
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【撮影日:11.11.02./掲載日:21.01.08.】 JR九州の多くの駅名標にはイラストが入れられていることが多いが、当駅は「佐世保独楽と九十九島をイメージ」というイラストが入れられている。 佐世保独楽はイラトでも判るように、太い側を上にした卵形のような胴体の下部に「剣」と呼ばれる金属の軸がつく、かなり独特の形をした郷土玩具とのこと。上部の5色ラインには中国陰陽五行説ともつながりがあるとされ、縁起物としての性格もあるようだ。 九十九島は佐世保市西方の海上に浮かぶ群島であることは知られているが、現在の調査では216島を正式に島の数としているそうで、他にカウントされていない岩礁や満潮時に水没する島も多数あるようだ。しかし有人島となるとたった4島(黒島・高島・前島・鼕泊[とうどまり]島)しかないそうで、群島のほとんどが小島の無人島ということになるらしい。 鉄的に"九十九島"というと、博多ー長崎 間を筑肥・松浦・大村線経由で運転された[準急]、のちに[急行]のことも思い出す。ただこの列車の運転期間は1963(昭38)年からたった5年間ほどで、その後[急行 平戸]に改称されている。確かに当時の列車愛称としては長い名前でしたしねぇ。 |
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【撮影日:11.11.03./掲載日:21.01.08.】 2001(平13)年に完成したという現駅舎。存在感を示しながらも、落ち着いた色合いとデザインとなっており、市代表駅としてはなかなかよい雰囲気である。 構内は3面6線を有し、1・2番線のホーム1面ははJRと松浦鉄道が半分ずつ使用している。1番線は完全に分離されているが、2番線は両者が直通運転できるようになっている。ただ残念ながら掲載日現在は直通運転は中止されている。とはいえ両社の直通運転・片乗り入れは中止と再開を繰り返しているので、また再開される可能性は薄くないように思う。一方、JRの[普通]列車は削減が進んでおり、元々使用頻度が高くなかったという5・6番線のホーム1面は使用を停止しているという。 |
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【撮影日:11.11.04./掲載日:21.01.08.】 改札口は、自動改札が3通路と有人改札の計4通路と、駅の外観と比べるとかなり小さくて驚きである。写真左にみどりの窓口が見える。 |
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【撮影日:11.11.05./掲載日:21.01.08.】 2番線に停車中の大村線直通の普通列車。当駅は佐世保線の駅でありながら、[普通]と[快速]列車の本数は大村線系統の列車の方が多かった。 掲載日現在では肥前山口方面と直通する[普通]列車はさらに減って、上下合わせても5本しかないそうだ。佐世保線を[普通]だけで乗り通そうとすると早岐での乗り換えの確率は高くなり、手間がかかることになるが、一方で早岐ー佐世保 間は2018(平30)年から特例で[特急]の自由席が特急料金不要で乗車できるそうなので、大村線直通列車を含めて頻度としてはかなり確保されていることになる。ただ早岐ー佐世保 間にある大塔、日宇の両駅は周辺に住宅地が広がっているものの、[特急]では通過してしまうので、そのあたりはどういうような利用状態になっているのかは気になるところである。 ◆写真の列車情報◆ キハ66系 崎サキ BM-13(2輛編成・写真先頭車はキハ67-1) 827発 231D[普通]佐世保→諫早 |
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【撮影日:11.11.04./掲載日:21.01.08.】 写真は[特急 みどり]の運用に就く787系。登場当初は今までの鉄道車輛デザインにはない斬新さで話題になり、ブルーリボン賞を受賞した車輛ではある。デザインとしては、欧州の高速鉄道用車輛っぽさはともかく、JR九州内でドーンデザイン研究所の多用で("進化"ではない)深化が進んでいった結果、どことなく虫っぽさを感じるところがあるため個人的な評価は高くない。鉄道車輛っぽくない機械的な感じもマイナス点である。まあ独自性を持たせるというところでは、こうなることもあるのでしょうが…。 ◆写真の列車情報◆ 787系 本ミフ BM-13(6輛編成・写真先頭車はクモハ786-13) 808発 4006M[特急 みどり6号]佐世保→博多 ※掲載日現在は7輛編成 |
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【撮影日:11.11.05./掲載日:20.01.08.】 783系をローアングルから撮影。783系の登場は1988(昭63)年ということなので、撮影時で登場から20年を優に過ぎていたということになる。登場当時、(急行形キサシはすでに全廃となっていたということもあって)片側の1扉が車体中央にある車輛というのはかなり珍しく、変わった車輛が登場したよなぁ、と強く思ったことを覚えている。その一方で半室単位で指定席と自由席の切り替えができるというのは、一室をどこかで仕切るより合理的な発想だなと思っていた。 登場後も全国的に特急列車の編成の短縮化は進んでいったが、このような車内構造の車輛形式は追随していかなかった。ということは、こういうタイプは室内のメンテナンスとかが面倒くさかった、ということがあったのかなぁ…。 ◆写真の列車情報◆ 783系 本ミフ CM-13(+CM-24:4+4輛編成 写真先頭はクモハ783-9) 847発 4008M[特急 みどり8号]佐世保→博多 |
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【撮影日:11.11.04./掲載日:20.01.08.】 ホテルでの夕食として買い求めた駅弁「南蛮あごめし」。食べてから書くまでに5年もの歳月が経ってしまったので、あごめしがどういう味だったかいまいち記憶にない。で、情報をネットで頼ってしまったが、左側のご飯の上にのっている一夜干しのあご(トビウオの子供)で、ご飯の方はトビウオの出汁で醤油と一緒に炊き込まれている。 この駅弁を作っていたのは「松僖軒」というお店だが、2014(平26)年に佐世保駅の店を閉店し、当駅唯一だった駅弁販売からも撤退している。 ちなみに駅弁ではありませんが、別に日には佐世保バーガーを食べました。 |
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