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東海旅客鉄道 飯田線
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西豊川 Nishi-Toyokawa
 ●2013.10.訪問時
【撮影日:13.10.01./掲載日:16.08.27.】
 西豊川駅は1942(昭17)年に支線の開業とともに開設された駅である。下項で説明する海軍工廠のために設けられたような路線である。そのため同駅は貨物の取り扱いも行っていたそうだ。駅としては戦後も営業を続けるが、国土地理医院の空撮アーカイブを見ると当時の周辺は畑ばかりだったためか、利用者数は芳しくなかったようで、1956(昭31)年には支線の旅客営業廃止とともに廃止されてしまった。その後は日本車輌製造の専用線として使用され、現在も命脈をつなげている。
 写真には2kmのキロポストが建植されている。豊川-西豊川 間の営業距離は2.4kmとなっているが、西豊川支線は豊川駅から400mほど離れた場所から分岐しているので(飯田線の車内から確認済み)、計算上の辻褄は合っている。キロポストの右手の空き地にホームや駅舎があったとされる。
 
【撮影日:13.10.01./掲載日:16.08.27.】
 写真は元の駅の豊川(東)側にある美幸踏切から終端方向を見たところ。旅客営業上は当駅が終点となっていたが、線路はこの先も延びており、日本車輌製造豊川工場へ繫がっている。旅客線としては廃止路線ではあるが、日本車輌製造の専用線としては現役の線路である。ちなみに日本車両製造の(登記上の)会社名は"輌"の字を使用しているが、対外的には「日本車両」の文字を使用している。
 支線が開業された1942(昭17)年当初も一般営業上は当駅が終点とされていたが、旅客列車は現在の日本車輌の敷地にあった豊川海軍工廠内の北東門乗降場まで工員の輸送をしていた。1942年という戦争のさなかに開業した理由もこの海軍工廠にあったのは明らかである。この工廠では銃器や火薬類を製造していたとのこと。終戦直前には大空襲に遭って2600名以上の犠牲者を出している。
 この専用線は全線単線だが、架線柱はこの美幸踏切を挟んだ両側(計2つ)が複線仕様となっている。駅営業していた頃の名残だろうか。
 
 

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