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東武鉄道 伊勢崎線
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浅 草 Asakusa
 ●2014年2月訪問時
【撮影日:14.02.19./掲載日:19.07.14.】
 間もなく出発する[普通]北千住ゆき。この撮影当時の浅草駅は、日光・鬼怒川方面行きの[快速]の日中時間帯の運転は既に無く、有料列車を除くと北千住または竹ノ塚ゆきの[普通]列車が発着するだけになっていた。一般列車は曳舟・押上から半蔵門線に入る列車の運転が主体的になっており、ややターミナル駅としては淋しくなってしまった。
 浅草は銀座線経由で都心へのアクセスが繋がっているものの、都心へ直通できないところやホームの延伸もままならない駅であるところが、確たるターミナル駅として存在感を示せないところなのかもしれない。伊勢崎線は誕生以来、都心へどうアクセスをするのか模索し続けている路線である。最初は亀戸線経由で総武鉄道(現・JR総武本線)で両国乗り入れを果たしたものの短期間で中止され、戦後しばらくしてから北千住からの日比谷線乗り入れ、平成の半ばになって半蔵門線への乗り入れと策は打っているが、いずれも他社の協調が無ければ都心を目指すことができないものとなっている。

 ◆写真の列車情報◆ 10030系 11655F[6輛編成:写真後尾車はクハ11655] 1511着 936[普通]北千住→浅草<折返>1522発 937[普通]浅草→北千住
 
【撮影日:14.02.19./掲載日:19.07.14.】
 こちらも間もなくの発車となる[特急 りょうもう]号。こうして写真にすると、なんだか地下鉄駅で撮影しているような感じだ。
 有料[急行]だった時代を含めて、この[りょうもう]号の存在というのは子供の頃から不思議だった。というのも、昭和後期の伊勢崎線は[準急]による浅草から伊勢崎ゆきや太田ゆきを運転している一方で、桐生線へ直通する列車は有料列車しかなかったということである。それゆえ、浅草から桐生線への一般列車の直通が、逆に伊勢崎へ行く有料列車があってもおかしくなさそうなのだが…と思っていた。後に伊勢崎発着となる[りょうもう]号が1往復だけ設定されたが、一般列車については半蔵門線直通運転が開始されるまではこの運転スタイルは変わらなかった。理由として上野-前橋 間のJR高崎線系統の列車の便利さがが影響しているという話があるのだが、この説を理由にするには弱いように思う。
 それとは別にもうひとつ、[りょうもう]号に1往復だけ佐野線直通列車が設定され続けているのも、今でもなんだか不思議だ。

 ◆写真の列車情報◆ 200系or250系 編成不明[6輛編成] 1520発 1423[特急 りょうもう23号]浅草→太田
 
【撮影日:14.02.19./掲載日:19.07.14.】
 青系のラインを纏った「粋編成」。
 かつては6050系と同じ白地(ジャスミンホワイト)に橙色(サニーコーラルオレンジ)と茶色(パープルルビーレッド)の帯と、窓周りを黒とした塗色で1991(平3)年より登場したが、現在は写真の塗色の他に、水色の部分を紫色とした「雅編成」、橙色とした「サニーコーラル編成」が2011(平23)年末から登場した。その後2015(平27)年には金色の字に朱と黒の帯を巻いた「日光詣色」が登場した。いずれの塗色も、色が異なるだけで車体への塗り分けは登場時から基本的に変わっていない。

 ◆写真の列車情報◆ 100系〔粋編成〕 編成不明[6輛編成] 1515着 1124[特急 きぬ124号]鬼怒川温泉→浅草<折返>?
 
 

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