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西武鉄道 山口線
Seibu / Seibu-Yamaguchi Line

駅リンク先
なし

 ■85.04.25. 山口線新交通システム開業記念
【購入日:85.04.25./掲載日:20.06.06.】
 エンべーロープの大きさは、縦:76mm×横:190mm。きっぷの大きさは、縦:65mm×横:180mm。エンベロープの印刷はカラー印刷から青色を抜いた3色刷となっている。8500系は青・赤・緑の3色帯を巻いているので、わざわざ青を抜いて印刷することもないような気がするのだが。画像は上が表側、下が裏側となっている。裏面の地図は前年発売の「さよなら蒸気機関車・おとぎ電車 記念乗車券」の時とは違い、POPなイラストとなっている。
 この山口線の改良は、他の西武線の駅から離れて独立していた駅との徒歩連絡の解消と、中央線国分寺側からの西武球場への旅客の取り込みを目的としている。もともと山口線は沿線人口が少なく、一方で西武関連の施設が周辺に多いという特殊性から、鉄道施設は新交通システムとなったという。
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【購入日:85.04.25./掲載日:20.06.06.】
 画像は中に封入されている3枚のきっぷ。旧線休止の記念に発売されたきっぷとは違い、利用できる区間は発売駅からの金額の区間となっている。きっぷの額面の合計は500円。番号は「00063」。きっぷは東伏見からとなっているが、田無駅で購入している。1枚の大きさは縦:65mm×横:180mm。きっぷ自体が無色透明のプラスチックシートに印刷されており、その証拠に裏面に印刷されているきっぷの通し番号が鏡文字となって透けて見えている。また、きっぷ左側に印刷されている8500形のスナップの背景が白くなっているが、ここにはどういう理由なのか、何も印刷されていないので、スキャン時に使用した白い紙が透けて見えている。それにしても屋根が掛けられていない西武球場はなんとも懐かしい。
 誕生した1985(昭60)年に因んで形式が与えられた8500系は、1輛の長さも8500mmと小型の車輛を4輛連結して運用されている。ということは編成全長でも20m級車輛2輛分にも満たないということになる。在籍車輛は3編成と小所帯であるが、全線単線で、ほぼ中間のの東中峯信号所でのみしか列車の上下交換ができないので、1日の使用編成数は2本で済むことになる。掲載日現在で誕生して35年が経過しているが、8500系は現在も使用され続けられている。しかし数年後には車輛置き換えの話が出てくるのかもしれない。
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■84.04.--. 1984.5.さよなら蒸気機関車・おとぎ電車 記念乗車券
【購入日:84.04.--./掲載日:20.06.06.】
 山口線の営業休止を前に発売された記念乗車券。中には、上下どちらかの片道が使用可能な遊園地前-ユネスコ村 間のきっぷが3枚(うち1枚が小児料金)封入されており、きっぷ額面の合計は500円。番号は「0033」。田無駅で購入。
 ネットで見てると、5月に発売された、としているところが意外に多くて苦笑いしてしまった。5月14日から休止される区間のきっぷが付いているのに、5月発売ということはまず無いだろう。当時の西武の記念乗車券類は1ヶ月くらいの有効期間を見て売っていたことから、4月中に発売を開始しているはずである。ちなみに最終運転日の5月13日はゴールデンウイークの翌週の日曜日なので、この日程は鉄道会社側が配慮したものであろうと考えられる。
 画像は上段がエンべーロープの表紙部分で、下段はエンベロープを開いたところ。上段画像の実物の大きさは、縦:90mm×横:198mm。
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 表紙部分には当時の山口線で使用されていたSLと客車のイラストが入れられている。下段画像の上部分(表紙の裏)には山口線の路線図が沿線の施設などとともに地図に示されている。新線と旧線は全く同一区間ではないことは周知のことであるが、こうしてして地図で見ると、新旧路線が重複している区間は線路の左右が西武園ゴルフ場と多摩湖に挟まれた区間だけで、新・山口線全線から見ると旧線と重複する区間は半分かそれより短いというのはちょっと意外な感じがする。それにしても新旧路線が重複する区間については工事を1年足らずで終えててしまおうというスケジュールはなかなかハードなものだったのではないだろうか。
 
【購入日:84.04.--./掲載日:20.06.06.】
 きっぷの大きさは、縦:79mm×横:182mm。きっぷのデザインにはタブレット関連のものや腕木信号機など、懐かしいものが見らっれる。
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 きっぷ裏面の概要には書かれていないが、元々この路線は現在は多摩湖線となっている多摩湖鉄道が計画し免許を取得した村山貯水池駅のある宅部(やけべ/現・東村山市多摩湖町など)から山口村(現・所沢市山口ほか)の線路を西武鉄道が復活させたものとの話がある。ただ当初は遊戯施設の一部として開業していることを考えると、当初はそんなことは関係なく建設して、後に正式に鉄道としたときにその免許を流用した、という方が話としてしっくりする気がしないでもない。ちなみに"宅部"という土地名は、古くは現在の東村山駅付近まで含むとされるという話もあるが、現在では多摩湖の下堰堤の南側にある池の名前「宅部池」(「たっちゃん池」とも呼ばれるらしいが、どういう意味なんだろう)として残るのみのようだ。
 
【購入日:84.04.--./掲載日:20.06.06.】
 きっぷの写真は、旧線時代の名物であったSLと旧型客車による編成。しかもここで使われている写真はSLの重連運転時のもので珍しい。
 SLの正式名称は「5形」。1977(昭52)年に台湾の精糖会社で使用されていた独・コッペル社の蒸気機関車である。2輛は1922(大11)年製の527号機と1956(昭31)年製の532号機と30年以上も歳が離れているが、外観や重量などはほぼ変わらないという。5形導入以前は、頸城鉄道の2号機の1形と、井笠鉄道の1号機の2形が1972(昭47)年が使用されていた。一方客車の方は「31形」と称し、1972(昭47)年とその翌年に井笠鉄道から8輛がやってきた。よくよく考えて見ると、特殊な事情があったとはいえ、地方鉄道から大手私鉄への車輛の貸し出し・譲渡というのも珍しい。
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個人的には小学校2年生(1978(昭53)年)の時に、春の学校遠足でユネスコ村の往路で使用したのが唯一の乗車機会であった。ということは、その頃にはすでに機関車は写真の5形機関車に置き換わっていたことになる。
 
>【購入日:84.04.--./掲載日:20.06.06.】
 きっぷの写真は、旧線時代の主力車であるバッテリーロコと屋根付き開放式のトロッコ客車。開通時からバッテリーロコ運転による鉄道施設であったが、これは当時から既に環境に配慮したものだったと言われている。
 バッテリーロコの正式名称を「B11形」といい、5輛が在籍した(車番はB-11~B-15)。いずれも1952(昭27)年製ということで、山口線開業(1950(昭25)年)の2年後に導入されたものである。裏面にはB-15についての簡単な車輛諸元が印刷されている。開放式のトロッコ客車は鉄道聯隊97式台車を改造したもので「1形」を名乗った。最大19輛が所属したが、後に一部が密閉型客車(21形)に改造されたものもあるが、SL運転が開始されると一部が廃車されて、最後まで残ったのは4輛のみだった。裏面の諸元を見ると、バッテリーロコの最大牽引輛数が3輛であったことから、末期は多客期でも常に1輛は予備車として待機できる状態で運用していたことが判る。
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 個人的には、上記にも書いた小学校2年生の時の遠足で復路で使用したのが唯一の乗車機会であった。