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東日本旅客鉄道 総武本線
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新 生 Araoi
 
【撮影日:17.09.09./掲載日:18.12.26.】
 中央みどり公園に建つ「旧国鉄新生貨物駅跡」と彫られた石碑。駅が廃止になったのは1978(昭53)年のことだが、石碑は新しいモノに見えた。側面には「銚子賞 平成二十一年度事業 門前町 町並みづくりの会」とあるので、訪問時で建てられてから8年ほどしか経っていない勘定になる。駅廃止から30年以上も過ぎてから建てられた理由は定かではない。ちなみに石碑にある"門前町"とは、銚子の住居表示ではなく、おそらく当地から東へ数百メートル行ったところにある「銚港神社」と関係したものであろう。当公園の住所は「新生町2丁目」となっている。
 駅の歴史は銚子開通3年後の1900(明33)年に開業と意外に古い。当初は川砂利の採取を目的としていたようだが、その後、鮮魚や醤油・味噌などの発送、原料となる大豆や穀類の着荷の輸送が始まる。線路的には銚子駅より先に延びる総武本線の延伸線のような格好だが、実際は総武本線の支線扱いで、営業キロは銚子を起点に改めて計算されている。1974(昭49)年の総武本線銚子電化の際には、銚子ー新生 間の0.8kmは非電化のままとされ、DL牽引による運転が継続された。
 
【撮影日:17.09.09./掲載日:18.12.26.】
 上の写真の石碑の近くにある、中央みどり公園についての由緒書き。貨物駅廃止後に土地を市が買い上げて公園を整備したことが書かれている。ただ買い上げまでに廃駅から5年ほどの時間があったことが読み取れるので、廃止後もしばらくは国鉄が土地を所有し続けていたことが想像される。
 
【撮影日:17.09.09./掲載日:18.12.26.】
 公園の北側の入口から、石碑を左に見ながら、公園の中央方向を見る。ここは駅構内の土地がほぼそのまま公園になっており、地図を見ても駅の広さがどの程度であったが容易に想像することができる。
 写真中央にも別の碑が見えるが、こちらは上項写真の由緒書きにも書かれている、銚子市の姉妹都市であるアメリカ・オレゴン州クーズベイ市との姉妹都市記念碑。
 
【撮影日:17.09.09./掲載日:18.12.26.】
 中央みどり公園の南端。このあたりに線路がヤード状に広がっていく、いわば扇の要があった。
 また新生貨物駅の先に"臨港線"と呼ばれた銚子漁港へ続く専用線もこの辺りから分岐していたようで、北東方向で行き止まりになっていた貨物駅に対して、専用線は駅構内から反れるように北上していた。左側の道路は撮影日現在でこそまっすぐな道路であるが、かつては専用線の線路を斜行で渡るために、道路がややくねっていた。"臨港線"は戦時中に開業したが1959(昭34)年頃には使用されなくなったようで、その数年後には線路も撤去されたとのことだ。現在でも地図上で新生駅北側から漁港手前までの廃線跡を辿ることは可能のようだ (※ このときにはそちらまで見に行っていない)。
 
【撮影日:17.09.09./掲載日:18.12.26.】
 銚子-新生 間の、銚子駅の中に掲載した妙見堂踏切から東へ約200mほど行った線路跡付近の様子。写真の奥方向が新生貨物駅跡方向になる。緩やかにカーブした道路自体はかつてからあるもので、線路は道路の左側を沿うように延びていた。現在の軌道跡は道路左側のヤマサ醤油に敷地に取り込まれている。ちなみに道路の左右ともヤマサ醤油の工場敷地になる。ヤマサ醤油も鉄道貨物を利用して製品を出荷していた時代があり、写真左に見える四角いコンクリート構造物あたりにポイントがあったようで、分岐したそのすぐ奥側に1面1線の荷役のホームがあったようだ。
 
   
 

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