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富士急行
Fuji Kyuko Co., Ltd.

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大月線

1979(昭54).06.19. 富士急行線(大月~富士吉田)運転開始50周年記念乗車券
【購入日:79.--.--./掲載日:15.04.28.】
 1979(昭54)年に発売された「富士急行線運転開始50周年記念乗車券」。開業当初は“富士山麓電気鉄道”と称しており、現社名への変更は1960(昭35)年。
 袋の表側(上段画像)にはモハ1形の写真が入れられている。掲載日現在の河口湖駅前にはモ1形が保存されているが、この記念切符が発売された当時のモ1形の車体は、上田交通別所線でモハ4257として使用されていた。
 袋の裏側(下段画像)には、当時国鉄からの乗り入れ車輛(115系と165系)が印刷されている。中電による乗り入れは現在でも続いているものの車輛は115系から211系に変わっている。また[急行]の乗り入れは現在ではなくなっている(というか[急行]自体が絶滅状態ですが)が、その代わりではないが、今では通勤電車が東京都心とを結んでいる。
 袋の大きさは88mm×185mm。中には乗車券が5枚封入(画像はこれ以下の欄を参照)されており、大きさは80mm×179mm。5枚の切符の合計金額は440円になるが、富士急は三つ峠事故以来、忌み番を気にする傾向が強い会社なので、これが440円で発売されていたのかどうかは謎である(4合わせ=幸せ、というこで発売したのか?)。むしろ50周年記念ということで500円で発売されていたなら、合点はいく。各切符には、当時在籍していた5形式の電車と富士五湖から見た富士山の写真が組み合わされている。
 
【購入日:79.--.--./掲載日:15.04.28.】
 精進湖からの富士山と、モハ3100形。
 
モハ3100形は、1956(昭31)年に会社設立30周年を記念して3101+3102の2輛1編成が日本車輌で新造された。形状は同時期に製造された秩父鉄道300形に類似している。二年後には3103+3104が増備されたが、1968(昭43)年の三つ峠事故で廃車になっている(→富士急の忌み番を避ける付番はこの事故に由来している)。
 3101+3102は平成の時代まで働き、1997(平9)年の1000系(元・京王5000系)の導入時に廃車となっている。その後、中央旧線の小淵沢-信濃境 間で喫茶店として使用された後に保管(というか放置)されているそうだが、あまり状態は良くないらしい。
 
【購入日:79.--.--./掲載日:15.04.28.】
 河口湖からの富士山とモハ3600形。
 元々は1929(昭4)年に製造された15m車のモ1形をルーツとしていて、17m化改造でモハ500形になろ。さらに1961(昭36)年から順次に貫通扉取り付けとクロスシート化改造し、改造着手初年にちなんで3600形となった。モハ3600形は5輛存在したが、この記念乗車券発売時では3602、3603の2輛のみが在籍していた。しかし旅客営業運転には入ることなく貨車牽引車として残っていた。廃止は1994(平6)年3月で、富士急最期の吊掛型の電車となった。
 画像の切符は「東桂-暮地」となっている。暮地駅は1981(昭56)年に寿駅に改称されている。
 
【購入日:79.--.--./掲載日:15.04.28.】
 西湖からの富士山と、7000系。
 7000系はモハ7030形とクハ7060形の2輛編成で構成され、3編成が在籍した。いずれも元・国鉄の17m旧型国電。モハ7031・7032は元クモハ14形(32系)で国鉄晩年は飯田線で使用、モハ7033は元モハ12形(31系)で国鉄晩年は青梅線で使用、クハ7061・7062・7063は元クハ16形(50系)で、国鉄晩年は前者2輛が南武線、後者1輛が青梅線で使用されていた。
 1969(昭44)年に2編成、その2年後に1編成が富士急に入線した。系式は同編成が最初に運用された1970(昭45)年に由来しており、本来なら4500系となるところだったが、忌み番を排除することから、和暦ではなく西暦からの採番となった。7000系の車輛が製造されたのは大正末期から1930(昭5)年にかけてで、すでに富士急入線時で約40年が経過していた。同系は1983(昭58)年1月に5700系(元・小田急2200系)の転入と、老朽化が理由となり廃車となった。
 
【購入日:79.--.--./掲載日:15.04.28.】
 山中湖からの富士山と、5000形。
 モハ5000形は1975(昭50)年に富士急の新造車として導入された。当時の地方鉄道では、車輛の置き換えや増備は譲渡車でまかなわれることが多かったので、新製車の導入は珍しかった。新車導入という意欲作ではあるが、三つ峠事故廃車の代替車という意味合いも含んでいた。車輛は国鉄115系と共通するところが多いが、側面は2扉車の417系に似ている(しかし扉間の窓の数が違う)し、ライトの配置や分散式冷房の採用などオリジナル性も見られる。製造翌年にはローレル賞を受賞している。
 5000形は他形式の併結ができず運用は単独にせざるを得ないという制限があるが、掲載日現在でも塗色がいろいろ変わりつつも現役である。
 
【購入日:79.--.--./掲載日:15.04.28.】
 本栖湖からの富士山と、5200系。
 5200系は、前面形状から想像がつくとおり小田急からの転入車。元小田急の1900系で、1977(昭52)年に富士急に譲渡されたことから「5200系」と付番された。ただし富士急線内での営業開始は翌年からである。在籍した車輛は2両編成(モハ5230形+クハ5260形)4本で、車番はモハ5231~3・5、クハ5261~3・5と振られ、忌み番の「4」は避けられている。1982(昭57)年から始まった5700形(元・小田急2200系)の導入に伴って、1984(昭59)年に全編成が廃車となっている。富士急での運用はわずか7年との短命であった。
 
 

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